相良城跡

さがらじょうあと (Sagara Castle Ruins)

【C-SZ081】探訪日:2022/3/12

【C-SZ081】相良城跡 静岡県牧之原市相良283

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SZ081】相良城跡

   平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて、相良庄の地頭である相良氏の相良館が築かれていた。戦国時代には高天神城を攻略して遠江国の支配を図った武田勝頼が相良に築城を行っている(相良古城)。1586(天正14)年、相良城は相良御殿とされ、徳川家康の鷹狩りに用いられた。江戸時代に入ると相良陣屋として相良藩の藩庁が置かれ、本多氏3代,板倉氏1代,本多氏1代の城郭となっている。
 近世の本格的城郭は、1767(明和4)年に田沼意次によって築かれた。意次は10代将軍・徳川家治の信任を受けて老中となり、築城を許可されて城主格となる。相良城の建設には11年間の月日を要したという。意次は普請工事を家老の井上伊織に全て委ね、1780(安永9)年、検分の名目でお国入りを果たした。特に天守閣を築くことを許されており、縄張りを北条流軍学者の須藤治郎兵衛に任せ、三重櫓の天守閣を築いた。
 しかし、1786(天明6)年、徳川家治が没し松平定信が老中になると、意次は失脚、蟄居,減封が命じられ、家督を継いだ田沼意明が陸奥下村藩1万石に転出すると、相良城も廃城とされ、1788(天明8)年には徹底的に破壊されてしまった。
 その後、相良は天領となったが、1823(文政6)年、陸奥下村藩主で若年寄・田沼意正(意次の四男)が相良に1万石の領主として復帰し、相良城跡に相良陣屋を構え、明治維新まで相良藩の藩庁として機能した。
 相良城は萩間川,天の川を外堀として本丸,二の丸,三の丸から成り、その規模は東西500m,南北450mに及んだ。三重櫓を中心に櫓は6基あり、三重の堀を廻らした総石垣であった。大半の遺構は消滅し現在、本丸跡には牧之原市役所相良支所,牧之原市史料館、二の丸跡には牧之原市立相良小学校、三の丸跡には静岡県立相良高等学校が建てられている。二の丸の土塁が校門脇に、仙台河岸には石垣の一部が残されている。また、御殿と書院が藤枝市の円妙山大慶寺庫裡に移築されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:中期
関連年号 1571年・1586年

1767年・1780年・1788年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
武田勝頼 G342 徳川家康 TG01 田沼意次 FU10
井上伊織 **** 須藤治郎兵衛 **** 田沼意明 FU10
田沼意正 FU10

 

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▲本丸跡(牧之原市史料館)

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▲城址碑と田沼意次像

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▲駐車場が相良陣屋跡

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▲二の丸南側の土塁

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▲二の丸

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