浜松秋葉神社

はままつあきはじんじゃ (Hamamatsu Akiha Shrine)

【S-SZ010】探訪日:2023/2.12

【S-SZ010】浜松秋葉神社 静岡県浜松市中区三組町39

【MAP】

〔駐車場所〕小笠神社の参道入口に駐車場がある。

【S-SZ010】浜松秋葉神社

   1570(永禄13)年、徳川家康が浜松城入城の際、北遠の霊山秋葉山より勧請して、家康の長女・亀姫を正室としていた家臣・奥平信昌の屋敷に建立された。武運長久と城下の安全を願い、浜松城の裏鬼門(西南)にあたるこの地が選ばれたとされる。そして、御朱印を付せられるとともに、敷知,浜名,引佐,磐田,豊田,山名,城東の七郡(現在の御前崎市から湖西市まで)の広さを檀下場として、年々二季神札の配札を行い金穀募集を許可された。歴代の浜松城主の崇敬も厚く、多くの灯籠が寄進され、一部現存している。1867(慶応3)年には正一位の神階を賜っている。
 また、1582(天正10)年、織田信長,徳川家康の連合軍が武田勝頼を滅ぼしたのち、家康は武田の800名を超す遺臣を自軍に取り込み、井伊直政の配下とした。その際、旧武田家臣たちが家康に従うと誓った起請文『信玄衆誓詞(天正壬午甲信諸士起請文)』が秋葉神社に奉納された(実物は戦災で焼失したが、複写が奉納されている)。彼らは武田軍の象徴というべき赤備えを継承し、その後の1584(天正12)年の小牧長久手の戦いはじめ、多くの戦場で「井伊の赤備え」として活躍した。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1570年・1582年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 奥平信昌 KD13 井伊直政 F442

 

 

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