猿投神社

さなげじんじゃ (Sanage Shrine)

【S-AC047】探訪日:2022/5/7

【S-AC047】猿投神社 愛知県豊田市猿投町大城5 <📲:0565-45-1917>

【MAP】

〔駐車場所〕

周辺に複数の駐車場がある。  
【S-AC047】猿投神社

   『日本書紀』によれば、日本武尊(倭建命,小碓命)と双子の兄とされる大碓命は景行天皇40年、天皇に蝦夷平定を命じられたが、恐れて草むらに逃げ隠れたため、天皇から責められ美濃国に封じられたとある。その後、当地方の開拓に尽くしたが、景行天皇52年に猿投山中で蛇毒のために42歳で死去し山上に葬られたという。猿投山西峯にある西宮の背後に大碓命の墓がある。
 猿投神社は大碓命を主祭神として祀り、社伝によれば、仲哀天皇元年に勅願により現在地に創建された。国史の初見は『日本文徳天皇実録』の851年(仁寿元)年10月7日条、従五位下の神階を授けるという記述である。『延喜式神名帳』では「参河国賀茂郡 狭投神社」と記載され、小社に列し三河国の三宮とされたという(ちなみに一宮は砥鹿神社、二宮は知立神社)。1175(建治元)年には最高位の正一位に達した。
 1534(天文3)年6月22日、松平清康の攻撃により9つの堂塔が焼失している。その後、梅坪城主の三宅氏や那須氏などが再建した。また、1561(永禄4)年に織田信長が三河国高橋荘を支配下に入れると、猿投神社を保護した。
 1872(明治5)年9月、近代社格制度において県社に列格し、式内社・広沢天神社などを合祀している(広沢天神社は後に分祀し摂社となる)。
 猿投神社は、県無形民俗文化財に指定されている「棒の手」の奉納でも有名である。また、古くから左鎌を奉納して祈願する風習がある。これは大碓命が左利きであったことから、左鎌を用いて開拓されたことを慕ったのが起こりとされている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】・太刀 銘行安 附:兵庫鎖太刀拵
     ・黒漆太刀 刀身無銘
     ・樫鳥糸威鎧大袖付
     ・古文孝経 1帖 (1195年 奥書)
     ・本朝文粋

       巻第二(1冊),巻第十三残巻(1巻),巻第十三残巻(1帖)
     ・猿投神社漢籍 一括

関連時代 古墳時代 平安時代:前期 平安時代:後期 戦国時代 明治時代
関連年号

景行天皇40年・景行天皇52年

851年

1175年 1534年・1561年

1872年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
大碓命 K103 松平清康 MT01 三宅氏 MY**
那須氏 **** 織田信長 OⅮ04

 

【S-AC047】猿投神社  
 

 

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【S-AC047】猿投神社

▲総門

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▲総門

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▲参道

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▲神馬

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▲三の鳥居

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▲拝殿

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▲四方殿と拝殿

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▲拝殿

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▲拝殿から総門方向を見る

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▲中門

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▲親子ざる

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▲中門

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▲中門

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【S-AC047】猿投神社

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▲左から熱田社,塞神社,八柱神社

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▲右は大国社

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▲太鼓楼

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▲太鼓楼

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▲厳島社

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▲棒の手顕彰碑

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▲山中観音堂

【S-AC047】猿投神社

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▲山中観音堂

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▲大悲殿

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▲大悲殿

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▲大悲殿鐘楼