履中天皇磐余若桜宮伝承地(若桜神社)

りちゅうてんのう いわれのわかざくらのみや でんしょうち(わかざくらじんじゃ)
(Iware-wakazakura Palace Traditional Ruins of Emperor Richu [Wakazakura Shrine])

【P-NR014】探訪日:2022/6/13

【P-NR014】磐余若桜宮伝承地 奈良県桜井市谷344

【MAP】

〔駐車場所〕

【P-NR014】磐余若桜宮伝承地

   桜井市谷の若桜神社は第17代・履中天皇の宮跡伝承地とされる。ただ、桜井市池之内にある同名の稚桜神社も伝承地に挙げられている(磐余稚桜宮跡)。
 履中天皇は、400?(履中天皇1)年2月に即位し翌年に磐余に遷都した。『日本書紀』によれば、即位3年11月、皇后と磐余の市磯池で遊宴中に、膳臣余磯が献じた酒の盃に季節外れの桜の花が舞い落ちた。天皇は、物部長真胆を召して桜の花がどこから迷い込んで来たのか調べさせたところ、長真胆は掖上の室山でその桜の木を捜し出し天皇に献上した。天皇はその珍しいことを喜んで、宮の名を磐余稚桜宮と名付けたという。この日、余磯と長真胆の二人はそれぞれ稚桜部臣,稚桜部造の氏姓を得た。また、この掖上の桜は清水湧き出る泉のそばに植えられ、そこを「櫻の井」といい、桜井市の名前の由来となったとされる。神社鳥居の右に復元されている。現在、若桜神社は稚桜部朝臣を祭神として祀っている。なお、若桜神社境内は後の世に、谷城として利用されている。
 履中天皇は仁徳天皇の第一皇子で5世紀前半に実在したとみられる天皇であり、中国の『宋書』に見える「倭の五王」の倭王「讃」に比定される(別説もあり)。即位2年11月には磐余の池を造成した。国政には蘇我満智,物部伊莒弗,平群木菟,葛城円らを参画させ、即位4年8月、諸国に国史と呼ばれる書記官を設置し国内の情勢を報告させ、即位6年正月には蔵職と蔵部を興した。405?(即位6)年3月に病気のため磐余稚桜宮で崩御し、百舌鳥耳原南陵に葬られた。
 なお、磐余若桜宮は応神天皇の宮跡伝承地ともされている。これは『日本書紀』に母の神功皇后が大和の磐余に若桜宮を造営し、皇后崩御後に応神天皇の遷都記事がないことに基づくが、『古事記』では軽島之明宮を宮としており、現在は応神天皇の宮には軽島豊明宮が比定されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 古墳時代
関連年号 400年・402年・406年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
履中天皇 K202 膳臣余磯 K007 物部長真胆 MB04
蘇我満智 SG01 物部伊莒弗 MB04 平群木菟 HG01
葛城 円 KZ01 応神天皇 K201 神功皇后 K009

 

【P-NR014】磐余若桜宮伝承地  
 

 

【P-NR014】磐余若桜宮伝承地

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