楊本(柳本)城跡

やなぎもとじょうあと (Yanagimoto Castle Ruins)

【C-NR033】探訪日:2014/11.28・2022/8.21

【C-NR033】楊本城跡 奈良県天理市柳本町1118-2

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、室町時代後期に楊本氏によって黒崎古墳に砦が築かれた。楊本氏は十市氏の勢力が伸びると、越智氏と結んでこれに対抗したが、1471(文明3)年に筒井氏と結んだ十市遠清に攻められ、楊本範満は敗死した。その後、勢力を伸ばした木沢長政に従ったが、1542(天文11)年、木沢長政が敗死すると楊本氏も没落し、楊本城は十市氏の持城となった。
 1575(天正3)年、松永久秀が古墳に楊本城を築いたが、織田信長臣下になったのちに信貴山城で憤死した。 さらに、大坂夏の陣を前に大坂城から退去した織田有楽斎長益は5男・尚長に一万石を分知し、尚長は柳本藩の祖となり、寛永年間(1624~45年)に楊本城址(黒塚古墳)を含む区画に柳本陣屋を築いて柳本藩藩庁とした。以後、代々織田氏が続き、13代・織田信及のとき明治に至る。堀を転用し石垣も造成。後円部墳頂を長方形の本丸とし、前方部に向けて壇状に平坦面の曲輪を墳丘を削り数段造成している。後円部の周囲には幅の狭い平坦面の帯曲輸を巡らせ、前方部のいちばん低い箇所に幅6.8m,深さ3.4mの堀を新たに掘削し、城砦としての機能を持たせていた。
 近くの民家に門が移築されているほか、御殿が橿原神宮の文華殿として移築現存している。また、南にある専行寺が織田氏の菩提寺で、北東奥に織田有楽斎の供養塔である。

【史跡規模】

【指 定】 

【国 宝】  

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1471年 1542年・1575年 1624~45年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
楊本範満 ****

十市遠清

TT03

越智氏

OC**

筒井氏

MW21

木沢長政

****

松永久秀

****

織田長益

OD10

織田尚長

OD11

織田信及

OD11

 

【C-NR033】楊本城跡
 

 

【C-NR033】楊本城跡

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主郭(黒崎古墳の後円部墳頂) 副郭 主郭 主郭 この下に主郭と副郭を分断する掘割があった 副郭から見た主郭 副郭 西側