羽田村古城跡(百度屋敷跡)

はだむらこじょうあと(ずんどやしきあと)(Hada Old Castle Ruins [Zundo Residence Ruins])

【C-AC571】探訪日:2023/2.27

【C-AC571】羽田村古城跡 愛知県豊橋市花田町百北253

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、文明年間(1469~87年)頃に石原氏によって築かれたとされる。明応年間(1492~1501年)には東三河十七騎のひとりに数えられる石原次郎兵衛が居城した。
 1565(永禄8)年、松平家康の東三河統一戦において酒井忠次が今橋城(忠次が城代になった頃、吉田城に改称)を包囲した際、長期戦に備えて百度屋敷に陣を構えたといわれている。当時の城主・石原百度兵衛はその後も忠次に仕えて武士としての道を歩み、1570(元亀元)年の姉川の戦いで戦功を挙げた。百度兵衛が遠州掛川へ移った後は、竹谷松平清宗の重臣・鋤柄百度右衛門が城主として入った。百度右衛門も酒井忠次の配下にあって活躍し、1575(天正3)年の長篠設楽原の戦いの酒井忠次別動隊による鳶ヶ巣山砦奇襲に参加している。その後、百度右衛門は隠居して子の樫右衛門が屋敷を継いでいた。鋤柄氏は家康の関東移封には従わず、この地にとどまり寛永年間(1624~44年)頃には帰農したという。
 城は北と西が崖状になった台地端で築かれ、北側と西側は沼や田の湿地帯で近くにあった池は天然の水堀となっていた。現在は豊国工業(株)となり、遺構は残されていないが、城は南北2郭に分かれ、豊国工業の北半分が城主の母屋(主郭)、南半分が若党屋敷であったとされている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1469~87年

1565年

1624~44年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
石原次郎兵衛 **** 酒井忠次 SK01 石原百度兵衛 ****
鋤柄百度右衛門 **** 鋤柄樫右衛門 ****

 

【C-AC571】羽田村古城跡
 

 

【C-AC571】羽田村古城跡

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北側から見る 西側から見る 城主の母屋(主郭)とされる北側 城主の母屋(主郭)とされる北側 若党屋敷跡とされる南側 若党屋敷跡とされる南側 若党屋敷跡とされる南側