柏原城跡

かしわばらじょうあと(Kashiwabara Castle Ruins)

【C-AC577】探訪日:2023/3.30

【C-AC577】柏原城跡 愛知県蒲郡市柏原町中原

【MAP】

〔駐車場所〕

   弘治年間(1555~58年)、上ノ郷城主・鵜殿長持の弟の鵜殿長祐が築城し、柏原鵜殿氏の始祖となった。
 15世紀後半、紀伊国熊野地方から渡ってきた鵜殿氏は、上ノ郷城を中心に、不相城,下ノ郷城(蒲形城),柏原城を築き一族を配置して、現在の蒲郡市のほぼ全域と幸田町の一部を勢力下に治めていった。
 1562(永禄5)年、西三河を平定した松平元康(徳川家康)は東三河へと進出し、まず、鵜殿宗家の上ノ郷城を攻略した。このとき、分家筋の鵜殿長祐は下ノ郷鵜殿氏(長龍の頃か)とともに松平方に与し、宗家の鵜殿長照,不相鵜殿氏の長成とは異なる道を選んだ。結果、松平方が勝利し、長祐は家康(1563年に元康から改名)に属することになるが、2年後の三河一向一揆の針崎の戦いで戦死した。長祐には子がなかったため、長照の弟・長忠が養子となって跡を継いだ。また、長忠の娘(あるいは妹)は家康の側室(西郡局)となり、督姫(のちに池田輝政の室となる)を生んでいる。長忠の子・長次が鳥取池田氏の家臣となったことで、柏原城は廃城となったと考えられる。
 柏原城は標高48mの丘陵端に築かれていたが、現在は東海道新幹線で分断され、さらに住宅,竹林,畑に変わっており、竹林の中には曲輪と思われる平坦地と石積み、土塁のような個所がみられるが、遺構かどうかは明らかではない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号

1555~58年・1562年・1564年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鵜殿長祐 F515 松平家康 TG01 鵜殿長忠 F515
鵜殿長次 F515 西郡局 F515

 

【C-AC577】柏原城跡
 

 

【C-AC577】柏原城跡

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南からの遠景 西側に入り口がある 入り口の石積み(遺構か後世のものかは不明) 竹林の平坦地が広がる 竹林の北側が高くなっている 北側へ上る 主郭と思われる最高部(新幹線で分断されているとみられるが) 北には新幹線の線路が見える 東にある忠安寺 東から見る(新幹線で分断されている)