長光寺城(瓶割城)跡

ちょうこうじじょう(かめわりじょう)あと (Chokoji[Kamewari] Castle Ruins)

【C-SG018】探訪日:2017/6/19

【C-SG018】長光寺城跡 滋賀県近江八幡市長光寺町

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SG018】長光寺城跡

   15世紀中期に佐々木政尭によって築かれたとされる。その後は六角氏が入り、1570(元亀元)年、南近江に侵攻した織田信長が攻め落とし柴田勝家を配置した。
 不二滝から登ると主曲輪西側の堀切に出る。堀切横の石垣は、高さ6mを越え城内最大のもの。堀切の東は主曲輪、西は二の曲輪で、堀切に渡した土橋が残っている。主曲輪は東西50~60m,南北30mほどで、東尾根に三の曲輪を配置した連郭式の曲輪配置である。二の曲輪は主曲輪と同程度の広さと推定される。曲輪西側の尾根筋は堀切で処理し、虎口部は石垣が積まれている。石垣,石積みは主曲輪,二の曲輪,三の曲輪にも見られるが、信長が安土城を築城する際、観音寺山(繖山),長命寺山,長光寺山,伊場山から石を集めたと記述されているため、長光寺城もかなり破城されたと考えられる。
 長光寺城は瓶割城とも呼ばれ、真偽は定かでないが、「瓶割り柴田」のエピソードが残る。1570(元亀元)年6月に六角義賢父子は長光寺城奪還のために、籠城する勝家を囲んだ。意を決した勝家は味方を鼓舞するため兵に水を飲ませた後に水瓶を割って討って出て六角の旗本を切り崩し、野洲河原で三雲・高野瀬・水原の六角勢を討ち取ったという。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1570年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
佐々木政尭 G739 織田信長 OD04 柴田勝家 G342
六角義賢 G739

 

【C-SG018】長光寺城跡
 

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▲遠景

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▲登城口

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