下笠田城跡

しもかさだじょうあと(Shimokasada Castle Ruins)

【C-ME108】探訪日:2023/4.4

【C-ME108】下笠田城跡 三重県いなべ市員弁町下笠田1495ー1

【MAP】

〔駐車場所〕東光寺の前に駐車させていただく。

【C-ME108】下笠田城跡

   築城年は定かではないが、建武年間(1334〜38年)に多湖刑部左衛門がこの地域を北畠顕家より可領されて築いたとされる。代々、多湖氏の居城となった。
 永禄年間(1558〜70年)頃の城主・多湖大蔵介橘実元は北勢四十八家のひとりに数えられたが、1568(永禄11)年に織田信長軍が北伊勢に侵攻すると、他家同様に織田に降った。その後、1590(天正18)年、豊臣秀吉の命令により小田原征伐に従軍して41歳で戦死。多湖氏は江戸時代には庄屋として代々続いた。
 城は員弁川の河岸丘陵に築かれ、主郭は西隅、南に二の丸、その東に三の丸があったとされるが、現在は住宅地,畑地に変わり、遺構は残されていない。
 北の東光寺には、南北朝時代に美濃の土岐氏と伊勢の北畠氏との戦いで戦死した人を葬った五輪塔が集められている。また、本城の北西約950mのところには同族によって築かれた上笠田城跡がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号

1334〜38年

1558〜68年・1568年・1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
多湖刑部左衛門 **** 多湖大蔵介橘実元 **** 織田信長 OD04

 

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東光寺