関口刑部墓所〔慶忠院跡〕

せきぐちぎょうぶ ぼしょ〔けいちゅういんあと〕(Grave of Sekiguchi Gyobu [in Keichu-in Temple Ruins])

【K-AC209】探訪日:2023/4.17

【K-AC209】関口刑部墓所 愛知県豊川市長沢町日焼18

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-AC209】関口刑部墓所

   慶忠院跡に残る五輪塔は登屋ヶ根城主だった関口刑部の墓(供養塔)とされる。関口氏は今川氏の支族で関口経氏のとき三河国宝飯郡関口に住み、代々今川氏に仕えた。関口満興以降、刑部大輔を継いでおり、1561(永禄4)年に自害した最後の城主・関口教兼の墓と思われる。徳川家康の室となる瀬名(築山御前)の父・関口親永は瀬名氏から関口家へ養子に入っている。
 なお、梅香山慶忠院は浄土宗西山深草派の寺院で、この場所にはもともと関口氏の菩提寺・長寛寺があったとされる(登屋ヶ根城落城時に炎上)。慶忠院も2011(平成23)年秋に近くの立信寺と合併し、現在は廃寺となっている。
 以前は慶忠院境内裏手に、関口一族の墓として小さな五輪塔がいくつかあったようであるが(最後の写真)、現在は五輪塔1基と僧侶の墓が並んでいる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1561年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
関口教兼 G364

 

【K-AC209】関口刑部墓所
  

 

【K-AC209】関口刑部墓所

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【「東三河を歩こう」から転載】慶忠院裏手にあったとされる関口一族の墓