石筒ヶ根合戦戦死者墓所

いしどうがねかっせんせんししゃ ぼしょ(Graves of Parsons killed in Ishidogane Battle)

【K-AC217】探訪日:2023/5.2

【K-AC217】石筒ヶ根合戦戦死者墓所 愛知県新城市作手清岳大入

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-AC217】石筒ヶ根合戦戦死者墓所

   石筒ヶ根合戦で戦死した者たちの自然石でつくられた墓である。
 1573(天正元)年、亀山城主・奥平貞能は、武田から離反し徳川方に味方することを決め、同年8月20日夜、夜陰をついて一族は武田勢力の強い作手を脱出して、戦いに有利な滝山城へと向かった。これを知った武田方で古宮城の甘利晴吉は追撃を開始し、亀山城から巴山,石筒ヶ根辺りまでの広範囲で戦いが続いたという。奥平方は犠牲を出しながらも無事に滝山城に入ることができた。ここは峠の合戦地跡から300mほど南東に下ったところである。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1573年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

 

【K-AC217】石筒ヶ根合戦戦死者墓所
 案内は「150m先」までで、ここから先が少しわかりづらい。写真のように、一旦、林道に出て横切り、さらに下に向かうと前方に墓が見えてくる。測ったわけではないが、案内板から150m以上歩いたような気がする。 

 

【K-AC217】石筒ヶ根合戦戦死者墓所

【K-AC217】石筒ヶ根合戦戦死者墓所 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

林道を横切り、さらに下る 前方に墓所が見えてくる