宇都宮三郎墓所〔幸福寺〕

うつのみやさぶろう ぼしょ〔こうふくじ〕(Grave of Saburo Utsunomiya [in Kofuku-ji Temple])

【K-AC241】探訪日:2023/11.4

【K-AC241】宇都宮三郎墓所 愛知県豊田市畝部西町屋敷56 

【MAP】

〔駐車場所〕裏(墓側)に参詣者用駐車場がある。

【K-AC241】宇都宮三郎墓所

   1902(明治35)年、死去した「日本の近代化学の父」と称される宇都宮三郎氏の墓所である。幸福寺裏手の墓所にある。
 宇都宮三郎は1834(天保)年に尾張藩士・神谷半右衛門義重の3男として生まれ、兄の神谷定左衛門が家督を相続したのを機に、神谷家の旧姓である宇都宮を名乗った。西洋流砲術,蘭学(特に化学:舎密)を学び、江戸出張の際には帰藩命令に背いて脱藩。のちに幕府の洋書調所などに出仕し、幕府に初めて化学分析を持ち込み、「化学」の名称を公式に採用した。
 維新後は明治政府に雇われ、セメント・炭酸ソーダの国産化,耐火煉瓦製造の工業化,藍の製造法改良,電柱の防腐方法の開発などを行い、殖産興業,近代技術の発展に大きく貢献した。また、晩年には海軍軍人の秋山真之に対して甲州流軍学を教えたという。
 1902年、67歳で肺結核により死去するが、生前に自ら準備した防腐装置付の棺に納められて葬られていた。死に臨んでは、「33年後に開けてみよ、死んだときと同じ姿でいるだろう」と自らの遺体防腐処理の実験を行っている(ただ、これまで遺体は掘り起こされていない)。
 宇都宮三郎墓所の横の区画には神谷高正はじめ神谷氏代々の墓も並ぶ。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 明治時代
関連年号 1902年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
宇都宮三郎 F***

 

【K-AC241】宇都宮三郎墓所
  

 

【K-AC241】宇都宮三郎墓所

 

  
  宇都宮三郎(1834~1902年)

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