正衆寺

しょうしゅうじ(Shoshu-ji Temple)

【T-AC115】探訪日:2024/2.3

【T-AC115】正衆寺 愛知県知多郡南知多町豊浜会下坪3 <📲:0569-65-0627>

【MAP】

〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。

【T-AC115】正衆寺

   永正年間(1504~20年)に千賀氏によって再興された釈迦牟尼佛を本尊とする曹洞宗の寺院である。須佐城跡の西に位置する。
 治承・寿永の乱(源平合戦)の頃、源氏方に付いた須佐為基は、鎌倉時代に須佐の地を得て須佐城を築き、別の地にあった長面寺を庇護した。1191(建久2)年には源頼朝から寺領を寄進されている。
 時代は下り、永正年間には、千賀氏が志摩国千賀浦から海を渡り知多半島に進出し、須佐城を手中に収めた。そして、伊勢の朝熊山の池の中から、虚空蔵,不動尊,毘沙門天の三尊が飛んできたといううわさが流れると、それを奇瑞として、長面寺を再興し池水山正衆寺と改号して、千賀氏の菩提寺とした。その後、1542(天文11)年頃、千賀重親は東の幡豆崎城へと移ったが、正衆寺は千賀氏のもと庇護を受けて栄えたという。
 本堂横の墓地の石段を上ったところに千賀家歴代の墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1191年 1504~20年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
須佐為基 **** 千賀重親 OC**

 

【T-AC115】正衆寺

 

 

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千賀家歴代墓所