瑞龍寺

ずいりょうじ(Zuiryo-ji Temple)

【T-GF006】探訪日:2024/1.14・2.8

【T-GF006】瑞龍寺 岐阜県岐阜市寺町19 <📲:058-246-2597>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-GF006】瑞龍寺

   1468(応仁2)年、美濃国の実権を握る斎藤妙椿が美濃国守護・土岐成頼の菩提所として、悟渓宗頓国師を開山に迎え建立した。臨済宗妙心寺派の坐禅修行のできる専門道場である。
 1470(文明2)年に七堂伽藍が完成し、1500(明応9)年以降は、悟渓宗頓国師の弟子たちが輪住制で寺を守っていた。1561(永禄4)年に斎藤義龍が妙心寺派のうち、霊雲派の別伝宗亀によって国内の妙心寺派を統制しようとした際にはそれに反対し、住持であった速伝宗販は快川紹喜らとともに犬山の瑞泉寺へ一時逃れた。また、岐阜城城下であったこともあり、1567(永禄10)年の織田信長による岐阜城攻略、及び1600(慶長5)年の徳川家康の家臣・福島正則らによる岐阜城攻略の際に焼失している。
 その後、1747(延享4)年には輪住制が途絶え、一時荒廃したが、1806(文化3)年に白隠慧鶴の孫弟子にあたる隠山禅師により再建され、その際に僧堂(禅堂)が設けられた。
 明治時代以降も1891(明治24)年の濃尾地震、1945(昭和20)年の岐阜大空襲、さらには1959(昭和34)年の伊勢湾台風で損害を受けているが、再建が続けられ、1992(平成4)年には本堂が改築された。
 総門を入ると参道の東側に瑞雲院,鶴棲院(隠山円照禅師墓がある),臥雲院、西側に天澤院,開善院(斎藤妙椿菩提所),雲龍院の6つの塔頭が連なる。一番奥には金寶山瑞龍寺本堂と僧堂がある。
 また、境内には悟渓国師墓所土岐成頼墓所斎藤妙椿墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代:中期
関連年号 1468年 1500年・1561年・1567年 1600年 1806年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
斎藤妙椿 F864 土岐成頼 G135 悟渓宗頓 ****
速伝宗販 **** 隠山円照 ****

 

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【T-GF006】瑞龍寺

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参道 悟渓国師墓所 天澤院 鶴棲院 開善院 鐘楼 鐘楼 本堂と選佛場(禅堂)