軽海西城跡

かるみにしじょうあと(Karumi-nishi Castle Ruins)

【C-GF070】探訪日:2024/2.8

【C-GF070】軽海西城跡 岐阜県本巣市軽海

【MAP】

〔駐車場所〕円長寺前に駐車スペースがある。

【C-GF070】軽海西城跡

   築城年は定かではないが、中世には稲葉氏が数代にわたって居城し、1468(応仁2)年に稲葉氏が東濃へ移った後は、西村勘九郎(のちの斎藤道三)が在城した時期もあったという。1559(永禄2)年には当地で織田信長と斎藤龍興の勢力争いがあり、翌1560(永禄3)年に織田家の家臣・池田恒興の家老である片桐俊元が修築して居城とした。
 1589(天正17)年、俊元が池尻(現・大垣市)へ移ると、豊臣秀吉の家臣・一柳直末が大垣城から移って6万石を領した。しかし、直末は翌1590(天正18)年の小田原征伐での山中城攻めで討死したため、城は廃城となった。
 その後、1640(寛永17)年、一柳氏後裔がその菩提を弔うため、城跡に円長坊を建て、宝暦年間(1751~64年)には円長寺となって現在に至る。
 円長寺本堂の南側,西側に堀跡や土塁の一部が遺構として残されている。なお、東方には軽海東城跡がある。

【史跡規模】

【指 定】本巣市指定史跡(1970年4月15日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1468年 1560年・1589年・1590年 1640年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
稲葉氏 OC08 斎藤道三 F864 片桐俊元 G637
一柳直末 OC10

 

【C-GF070】軽海西城跡
 

 

【C-GF070】軽海西城跡

【C-GF070】軽海西城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

南から見る 西から見る 円長寺前 円長寺本堂 本堂左(南)側の堀跡 堀跡は本堂裏(西側)へ続く 土塁 土塁 土塁