西郷局(於愛の方)生誕の地

さいごうのつぼね(おあいのかた)せいたんのち (Birthplace of Oai-no-kata [Saigo-no-tsubone] )

【Z-SZ013】探訪日:2024/4.15

【Z-SZ013】西郷局生誕の地 静岡県掛川市上西郷2453-1

【MAP】

〔駐車場所〕生誕地が構江公民館となっており、駐車可能。

【Z-SZ013】西郷局生誕の地

   1552(天文21)年、のちに徳川家康の側室となり、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の母となる西郷局の生誕地である。初名は、あい,お愛とされるが、お相が正しいとする説もある。西郷局は家康の側室になって以降の呼び方である。
 父は戸塚忠春、母(後妻)は三河西郷氏の西郷正勝の娘とされる。幼少時に、父・忠春と異母兄の忠家が討ち死し、母とともに、祖父・西郷正勝に保護され、正勝の嫡孫・西郷義勝と結婚して1男1女をもうけている。夫・義勝が竹広合戦で落命すると、藤正尚の屋敷にいた母の元に身を寄せた。1578(天正6)年、家康が同屋敷を訪れた際、お愛の方を見初め、浜松に連れ帰った。お愛の方は、正勝の子であり伯父にあたる西郷清員の養女となり、家康に仕え、西郷局と改めた。
 1579(天正7)年4月に秀忠を、1580(天正8)年9月に松平忠吉を産んでいる。1589(天正17)年5月19日、駿府にて38歳で死去した。龍泉寺に葬られ、法名は竜泉院殿とされた。秀忠が将軍になると、1628(寛永5)年5月9日、従一位が贈られ、5月19日には法名も宝台院殿一品大夫人松誉定樹大禅定尼とする宣命が下り、龍泉寺は宝台院と名を改めた。
 西郷局は美人で、また温和誠実な人柄であり、家康の信頼厚く、周囲の家臣や侍女達にも好かれていた。また強度の近眼であったらしく、とりわけ盲目の女性に同情を寄せ、常に衣服飲食を施し生活を保護していた。そのため西郷局が死去すると、大勢の盲目の女性達が連日、寺門の前で彼女のために後生を祈ったという。なお、資料により出自や年号に差異があるが、ここでは『以貴小伝』による38歳死亡説を用いた。
 また、当地はいきさつは不明であるが、西郷斎宮故宅とも言われている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1552年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
西郷局(於愛の方) F628 戸塚忠春 ****

 

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【Z-SZ013】西郷局生誕の地

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西郷斎宮