【B-AC003】小豆坂古戦場

小豆坂古戦場

あずきざかこせんじょう (Historic Battlefield of Azukizaka)

【B-AC003】探訪日:2013/5/26

 愛知県岡崎市戸崎町牛転38

【MAP】

    

 

 三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で1542(天文11)年と1548(天文17)年の2度にわたって繰り広げられた。岡崎城の松平氏家中の家督相続争いに乗じて、西三河地方の領地拡大を画策する織田信秀と今川義元との間で生じた抗争である。
 1542(天文11)年8月、織田信秀の西三河進出に対し、松平氏を後援し同じく西三河への勢力伸張を狙う今川義元は、織田氏駆逐のため4万の軍勢を生田原に進めた。一方の織田信秀も安祥城から矢作川を渡り上和田に布陣。両軍は両軍は岡崎城東南の小豆坂で激突し、この戦いは織田方の小豆坂七本槍をはじめとした将士の奮戦により織田軍の勝利に終わったとされる(第1次小豆坂の戦い)。ただ、この第1次合戦については虚構であるという説もある。
 1544(天文13)年、刈谷城を中心に尾張,三河国国境地帯に勢力を持つ水野信元が、松平広忠の妻於大の方の兄でありながら松平氏と絶縁、今川氏を離反して織田氏に従った。この情勢を受けて、広忠は今川家との関係をさらに緊密にするため、嫡子の竹千代(後の徳川家康)を人質として今川氏の本拠地駿府に送ろうとするが、田原城主の戸田康光の裏切りによって織田方に引き渡されてしまった。織田信秀は人質の竹千代を利用して広忠に対し織田傘下に入るよう説得したものの、広忠は今川氏を頼って織田氏との徹底抗戦の構えを崩すことはなかった。
 そして、1548(天文17)年3月、織田信秀は岡崎城の松平広忠を武力で攻略しようと長男の信広を先鋒とし4000余の兵を率いて安祥城から上和田に着陣。今川義元も松平氏救援のため約1万の兵を太原雪斎を大将、朝比奈泰能を副将として出陣させ、信広と小豆坂で合戦となった。はじめは今川勢が優勢であったが、信広隊が信秀本隊のある盗木付近まで下がり勢いを盛り返し、次第に今川方の敗色が濃くなった。ところが、伏兵の今川方の部隊が攻勢に転じ、織田本軍に横槍を入れたことで織田勢は総崩れとなり安祥城まで敗走することとなった。

【史跡規模】

【指定】岡崎市指定史跡(1999年10月7日指定)
【国宝】

【国重文】

 

関連時代 戦国時代
関連年号 1542年・1548年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
織田信秀 OD03 織田信広 OD03 今川義元 G361
松平広忠 MT01 太原雪斎 **** 朝比奈泰能 F433
水野信元 G606 戸田康光 F529

 

 

 

 

   

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