【C-AC017】田原城(巴江城)跡

田原城(巴江城)跡

よしだじょう(ともえじょう)あと (Yoshida[Tomoe] Castle Ruins)

【C-AC027】探訪日:1989/8/31・2019/3/16

 愛知県田原市田原町巴江10-13

  【MAP】

    

 

 築城年代は定かではないが、1480(文明12)年に戸田宗光によって築かれたとされる。海に面した丘に築かれており、海や水堀に囲まれた城郭の形状から別名を巴江城という。
 三河国碧海郡上野に拠点を置いていた宗光は知多郡河和を経由して東三河の渥美郡に進出し、1475(文明7)年、高縄城に入った。1479(文明11)年には高縄から田原へ移り、田原城を築き駿河の今川氏の庇護のもとその支配を広げた。しかし、今川義忠が塩買坂で討死し今川家中が内乱状態となると、1493(明応2)年には渥美郡支配を強めるために同郡北端に新築した二連木城へ移り住み、田原城は子の戸田憲光に譲った。
 二連木城に移った宗光は今川方の船形山城を落とすなど今川氏に対抗したが、宗光の没後は再び今川氏に属した。1547(天文16)年、城主が戸田康光のときに、松平氏から今川氏に人質として送られる嫡男竹千代(徳川家康)を護送する任を受けたが、敵方の織田家に寝返ったため今川義元に攻められて落城した。その後は本多広孝、さらに家康関東移封後は吉田城に入封した池田輝政の重臣である伊木忠次が城代となった。江戸時代初期には再び戸田氏が城主となるが、1664(寛文4)年に三河国拳母より三宅康勝が入封して以降、三宅氏が明治まで続く。
 池田輝政の統治期に、石垣の修築や曲輪の整備などが行われたと考えられる。江戸時代になると、田原城の南側に城下町が形成され、17世紀後半頃に田原城東側の大きな入り江に大規模な干拓が行われ、海に面していた田原城本丸は陸地にむき出しとなった。また、一部の武家屋敷や藩校・成章館などを囲むように外郭も形成されており、二ノ丸の櫓は層塔式二階建て(復元櫓とは異なる形状)であった。現在、本丸は南朝の忠臣児島高徳を祀る巴江神社になっている。

 

 

【史跡規模】

【指定】
【国宝】

【国重文】

 

 

関連時代 戦国時代
関連年号 1480年・1493年・1547年・1574年・1581年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
戸田宗光 F529 今川義忠 G360 戸田憲光 F529
戸田康光 F529 今川義元 G361 池田輝政 KI18
伊木忠次 **** 三宅康勝

MY**

児島高徳

****

 

 

 

 

   

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▲桜門

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▲桜門

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▲城址碑

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▲桝池

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▲桝池

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▲袖池

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▲二ノ丸櫓(復元)

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▲二ノ丸櫓

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▲三ノ丸跡

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▲三ノ丸跡(護国神社)

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▲本丸跡(巴江神社)

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▲本丸跡

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▲巴江神社

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▲本丸跡

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▲空堀跡

【C-AC017】田原城(巴江城)跡

▲空堀跡

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