今川氏輝墓所〔臨済寺〕

いまがわうじてる ぼしょ〔りんさいじ〕(Grave of Imagawa Ujiteru [in Rinsai-ji Temple])

【K-SZ063】探訪日:2025/3.24・4.12

【K-SZ063】今川氏輝墓所 静岡県静岡市葵区大岩町7-7

【MAP】

〔駐車場所〕臨済寺の参詣者用駐車場がある。

【K-SZ063】今川氏輝墓所

   1536(天文5)年3月17日(4月7日)、享年24で急死した今川氏の第10代当主で駿河・遠江守護であった今川氏輝の墓所である。臨済寺にある。同所には、4代・今川範政,5代・範忠,6代・義忠および9代・義元の夫人(定恵院:武田信虎の娘)の五輪塔も並ぶ。
 第9代当主・今川氏親の嫡男として生まれ、父の死去により14歳で家督を継ぐ。母の寿桂尼が後見人として補佐した。1532(天文元)年頃からは氏輝が親政を開始する。武勇にも秀でており、甲斐国都留郡山中において武田信虎の軍勢と戦い、一時的にとはいえ甲斐国の半分ほどを占拠した。また、氏親期の施策を踏襲し安定した領国統治が行われていたと考えられており、領内における検地などが実施され、商業振興策などの施策が見られる。
 1536(天文5)年、冷泉為和とともに歌会のため小田原へ赴くが、同年3月17日に死去した。同日、氏輝の後継的立場にあった弟の彦五郎も死去しており、嫡子の無い氏輝の死後には出家していた弟の栴岳承芳(後の義元)と玄広恵探の兄弟間で家督を巡る花倉の乱が発生している。氏輝は病弱であったものの、彦五郎と同日に死去している突然死には諸説があり、疫病説・毒殺説・自殺説などが疑われている。
 同墓地には、太原雪斎墓所中村一氏墓所もある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1536年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
今川氏輝 G360 今川範政 G360 今川範忠 G360
今川義忠 G360 定恵院(武田信虎女) G432

 

【K-SZ063】今川氏輝墓所
 

 

【K-SZ063】今川氏輝墓所

【K-SZ063】今川氏輝墓所 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

4代・今川範政の墓(後方)と9代・今川義元の夫人の墓 5代・今川範忠の墓(後方)と6代・今川義忠の墓