松平忠明墓所
まつだいらただあき ぼしょ(Grave of Matsudaira Tadaaki)
【K-SZ064】探訪日:2025/3.24
静岡県静岡市葵区井宮町194-4
【MAP】
〔駐車場所〕松樹院の参詣者用駐車場がある。
1805(文化2)年春、駿府城代として駿府にて死去した松平忠明の墓所である。浅間神社の再建中に亡くなり、遺言の「浅間神社再建の木遣唄が聞こえる場所に埋葬して欲しい」に従い、浅間神社北西の松樹院北側に葬られた。公式には41歳没とされるが47歳没ともいわれ、没日も諸説ある。
豊後岡藩主・中川久貞の子で、信濃塩崎陣屋5000石の松平忠常の婿養子となる。官位は従五位下・信濃守。1798(寛政10)年、江戸城本丸の書院番頭となっていた忠明は、その力量が見込まれ、幕府が蝦夷地を直轄化する際に蝦夷地取締御用掛の筆頭に任命され、蝦夷地の探索・調査にあたり、経営方針の策定に関わった。
その後、1802(享和2)年、駿府城代となる。駿府城代としての在任中には、安倍川の治水につとめて1803(享和3)年の洪水の被害を抑え、翌年には火災で焼失していた駿府の浅間神社(現・静岡浅間神社)の再建を起工した。再建の最中に病死したとされる。忠明の家臣で学者であった広瀬安行(号は更山)は、松樹院の境内に庵を結び、3年の喪に服した。安行の墓(廣瀬更山先生墓)も近傍にある。