小倉北城跡
おぐらきたじょうあと(Ogura Kita Castle Ruins)
【C-NR062】探訪日:2025/5.14
奈良県奈良市小倉町395
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、東山内の国民・小倉氏の居城とされる。小倉氏は、多田氏を中心とする山内衆で構成した染谷天神講の一員である。1384(至徳元/元中元)年の『長川流鏑馬日記』にもその名がみえる。小倉北城の南には小倉南城があり、規模,地形からみて北城は平時の居館、南城はその詰城に相当すると考えられる。北城は古城と呼ばれ、南城よりも先に築城されている。北城は、小倉集落の入口を監視するとともに、北側と南側の集落を眼下に見ることができる。
1492(明応元)年に吐山氏によって攻め落されたとされるが、北城,南城のいずれか、または両城かは不明である。
北城は標高521m,比高30mほどの丘城で、主郭は50m×50mのほぼ方形だが、北側に角があって五角形になっている。また、郭内には段差があり、二段となっている。西側には6mほどの土壇が残り、主郭の外縁には土塁、その外側には一部削り取られているが、空堀が確認できる。土壇の西側にも空堀は南北に通り、南側は竪堀状になって小社の方へと落ちており、そこで東西へ分かれている。さらには、南北空堀の西側にも現在は崩れた地形となっているが、副郭として居館があった可能性もあるという。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 | 室町時代 |
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関連年号 | 1384年 | 1492年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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小倉氏 | **** | 吐山氏 | **** |
小倉北城縄張り図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)