孝霊天皇片丘馬坂陵
こうれいてんのう かたおかのうまさかのみささぎ(Kataoka-umasaka Mausoleum of Emperor Korei)
【K-NR208】探訪日:2025/9.7
奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目
【MAP】
〔駐車場所〕
宮内庁により第7代・孝霊天皇の陵に治定されている。宮内庁上の形式は山形。古墳としての遺跡名は特にない。
孝霊天皇は、孝安天皇と天足彦国押人命の娘の押媛の子とされるが、「欠史八代」の一人であり、実在性については諸説ある。兄弟として『古事記』では同母兄に大吉備諸進命の名が見える。
父帝が崩御した年の12月、黒田廬戸宮に都を移す。それまでの山裾にあった宮と異なり大和盆地の中央に位置する。翌年の1月に即位。即位2年、磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命を皇后とし、彦国牽尊(後の孝元天皇)を得た。また、崇神天皇の時代に四道将軍となった彦五十狭芹彦命、疫病や反乱を収めるのに重要な役割を果たした倭迹迹日百襲姫命を得ている。即位76年、崩御。宝算は『日本書紀』では128歳、『古事記』では106歳という。