鵜多須代官所跡

うたすだいかんしょあと(Utasu Daikansho [Magistrate's Office] Ruins)

【R-AC081】探訪日:2025/9.19

【R-AC081】鵜多須代官所跡 愛知県愛西市鵜多須町大山西

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-AC081】鵜多須代官所跡

   1782(天明2)年4月、尾張藩の所付代官制度に基づき設置された代官所である。
 前年の1781(天明元)年、名古屋の大火により国奉行所が類焼し、それを機に郡奉行が廃止された。尾張藩は以降、領内の各要所に所付代官(藩領の政務を直接担当する地方官職)を置くようになる(最初の代官所は佐屋代官所)。この鵜多須代官所の支配地域は尾張国中島郡・海東郡・海西郡の一部、及び美濃国中島郡・石津郡・多芸郡・安八郡・不破郡も含む広範囲に及び、村数154ヶ村、惣高7万6764石であった。
 主な政務は地方行政一般で、蔵入地の貢租の決定・取立,諸運上の調査徴集,宗門改帳・人別帳・五人組帳の検査,土木工事,警察・裁判・調停などの治安維持,勧農など行政上の全ての権力を持っていた。代官所の定員は、代官・手代5人・並手代1人・足軽(同心)3人・小使5人程であり、代官所には代官・手代・同心が居住し、近隣には代官所へ出頭した庄屋などへの食事・宿泊のため郷宿もあった。
 1871(明治4)年10月の廃止まで、約90年24名の代官が任命されている。廃止後は学校として利用されたりしたが、現在は住宅が建ち並び、遺構はみられない。すぐ南の神明社の前に説明板が建てられている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 江戸時代:中期 明治時代
関連年号 1782年 1871年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図


【R-AC081】鵜多須代官所跡  
 


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神明社の前にある説明板 代官所跡辺り 西側から見る 神明社の北側 神明社の北側 神明社の北側 代官所南の神明社