中宮寺跡
ちゅうぐうじあと(Chugu-ji Temple Ruins)
【T-NR050】探訪日:2025/11.7
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺東2丁目7
【MAP】
〔駐車場所〕歴史公園南側に駐車場がある。
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607(推古天皇15)年頃に厩戸皇子は母・穴穂部間人皇后のために、この地に中宮寺を創建した。飛鳥時代前半の四天王寺式伽藍配置で、寺伝によれば当初から尼寺であったという。
平安時代以降衰微していた中宮寺は、1274(文永11)年に信如比丘尼によって復興が図られた。その後、戦国時代に炎上したため、西へ約500m離れた法隆寺の子院に避難し、そのままそこに寺基を移すこととなった。したがって、現在残る塔跡と金堂跡の位置は戦国時代のものである。中宮寺は1602(慶長7)年には門跡寺院として整備され、1968(昭和43)年、本堂が再建された。
現在、中宮寺跡は史跡公園として整備されており、秋にはコスモス畑が名所となっている。
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【史跡規模】
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【指 定】国指定史跡(1990年5月19日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
| 関連時代 | 飛鳥時代 | 鎌倉時代 |
戦国時代 |
| 関連年号 | 607年 | 1274年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 厩戸皇子 | K303 | 信如比丘尼 | **** |
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