桂岩寺

けいがんじ(Keigan-ji Temple)

【T-AC131】探訪日:2026/1.28

【T-AC131】桂岩寺 愛知県西尾市上矢田町寺前22 <📲:0563-59-8196>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-AC131】桂岩寺

   創建年は定かではないが、南北朝時代の領主・戸ヶ崎次郎義宗が照璟光山慧珉上人に深く帰依し、慧珉上人に44石の荘園を寄付して一寺を創建したことに始まる。さらに、1350(正平5/観応元)年には本堂や庫裡等を新築して当時32歳の慧珉上人を当山の開山と定めた。当初は「慶巖寺」と称した。
 開基の義宗は、1393(明徳4)年、道目記の合戦で戦死し当山に葬られた。義宗の戦死の翌日、夫人の富波姫は夫を慕って自決したとも、またあるいは、長刀の名手として勇ましく戦い、30を超える首級をあげて戦死したとも伝えられており、同じく当山に埋葬された。慧珉上人は1398(応永5)年に81歳で遷化している。
 戦国時代になると、矢田松平家の国森城主・松平甚六康忠は、第4代住職・尊阿照翁等意上人に深く帰依し、父の松平張忠の菩提を弔うため当山を菩提寺と定め、1537(天文6)年に本堂をはじめとして殿舎を再建した。康忠は1540(天文9)年6月、安城合戦にて戦死し当山に葬られた。
 慶長年間(1600年前後)に描かれた古絵図によれば、境内12,000坪、2ヶ寺の塔頭寺院を含み、浄土宗西山深草派三河十二本寺の一つとして、浄土念仏道場の拠点となっていた。1602(慶長7)年、第9代・及翁祖玄上人の頃より寺号を「桂岩寺」と改めている。
 その後、自然災害,飢饉や経済破綻、また、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈や戦後の農地解放などにより、その規模は縮小された。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 室町時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1350年 1393年・1398年 1537年・1540年 1602年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

戸ヶ崎義宗

G3** 照璟光山慧珉上人 **** 富波姫 ****
松平康忠 MT01 松平張忠 MT01 尊阿照翁等意上人 ****


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