垂井城跡
たるいじょうあと(Tarui Castle Ruins)
【C-GF091】探訪日:2026/4.25
岐阜県不破郡垂井町1349
【MAP】
〔駐車場所〕
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築城年は定かではないが、南北朝時代(推定)に鎌倉氏族長江氏の一族の長屋景頼が相模国から本巣郡長屋に来住し、ついで、不破郡垂井に移住した際に築城したとされる。ただ、明確な遺構がなく正確な位置は不明であるが、文献や地形などから専精寺境内が所在地に比定されている。美濃守護の土岐氏に属した。天文年間(1532~55年)には、長屋景興が相羽城に居を移したが、1547(天文16)年に斎藤道三の侵攻により相羽城で景興が戦死し、長屋氏は没落した。この時に垂井城も廃城もしくは機能が大きく損われたとされている。
その後、1600(慶長5)年に平塚為広が垂井領1万2千石で入封すると、垂井城を居城として整備拡張したと思われる。しかし、同年の関ヶ原の戦いでは西軍として大谷吉継の配下で奮戦するが討死し(「平塚為広碑」参照)、垂井城も廃城になった。景興の戦死から為広が入城するまでの期間は不明である。
専精寺に、城址碑と説明板が建てられている。