長屋氏屋敷跡
ながやしやしきあと(Nagaya Residence Ruins)
【R-GF025】探訪日:2026/4.25
岐阜県不破郡垂井町
【MAP】
〔駐車場所〕
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築造年は定かではないが、鎌倉時代中期頃から戦国時代にわたって垂井を領していた長屋氏の屋敷跡とされる。長屋氏は相模国かた美濃国垂井に移り住んだ豪族で、土岐氏に属した。
1353(正平8/文和2)年6月13日、南朝方に京を追われた北朝の後光厳天皇は、足利義詮らとともに垂井へと逃れ、一時、長者・長屋氏の屋敷を仮御所とした(垂井頓宮)。しかし、南朝軍が垂井に迫ると聞くと、急いで土岐頼康の居城へと移られた。ただ、8月25日には足利尊氏の西上を知り、再び、頼康が造営した垂井頓宮へと戻られた。9月3日、足利尊氏の大軍が垂井に到着。尊氏は直ちに天皇に拝謁、天皇を安堵させた。その後、尊氏はここで病床に就いたが、17日、天皇を中程にして、義詮が先駆け、尊氏が後陣の隊列をつくり、垂井頓宮から京都に向け出発された。
この頃は隆盛を誇った長屋氏であるが、戦国時代には斎藤道三が台頭して土岐氏が没落すると、長屋氏も没落した。
なお、屋敷跡に残る樹齢500~600年の椿は垂井町の天然記念物に指定されている。