上野東照宮
うえのとうしょうぐう(Ueno Toshogu Shrine)
【S-TK001】探訪日:2026/5.30
東京都台東区上野公園9-88 <📲:03-3822-3455>
【MAP】
〔駐車場所〕
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正式名称は「東照宮」であるが、一般には他の東照宮との区別のために、鎮座地名をつけて「上野東照宮」と呼ばれる。
1616(元和2)年に危篤の家康から我が魂が末永く鎮まる所を造ってほしいと藤堂高虎と天海に遺言され、1627(寛永4)年、高虎が上野の自らの敷地内に創建したという。当初は現在とは異なる形状の社殿とされる。
現在の社殿は1651(慶安4)年に徳川家光が改築したものであり、1866(慶応2)年に回廊が焼失する火災に遭ったものの、上野戦争や関東大震災や第二次世界大戦でも奇跡的に焼失を免れている。上野戦争では旧幕府軍の本陣が上野東照宮境内に置かれたにもかかわらず焼き討ちや打ち壊しに遭うこと無く、関東大震災では鳥居すら倒れず、東京大空襲では焼夷弾を社殿脇に被るが不発弾であったために倒壊を免れている。そのため強運の神として、また家康を祭神としていることから出世,勝利,健康長寿の神様として信仰されている。
社殿は権現造だが、正面手前が拝殿で、奥に本殿がある。その間に石の間と呼ばれる幣殿があり、一段低くなったところで繋いだ三室の造りになっている。金箔がふんだんに使われていることから金色殿と呼ばれている。また、社殿,唐門,透塀はすべて当時のまま現存しており、重要文化財である。
唐門の龍の彫刻4体は江戸初期の彫刻師の左甚五郎が手掛けた作品といわれる。門の内外に2体ずつ彫られた昇龍・降龍は、頭が下を向いている方が昇り龍と呼ばれている(偉大な人ほど頭を垂れるという家康の教え)。
透塀は、狩野派の絵師が下絵を描いて、それを彫師が彫ったと伝えられている。透塀の彫刻は257枚あり、塀の上段には野山の植物や動物が、下段には海川の水の生き物が彫られている。
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【史跡規模】
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【指 定】 【国 宝】 【国重文】・東照宮社殿 3棟1基 |
| 関連時代 | 江戸時代:前期 |
| 関連年号 | 1627年・1651年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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| 藤堂高虎 | F795 | 徳川家光 | TG03 |
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