高山寺
こうざんじ(Kozan-ji Temple)
【T-KT005】探訪日:1991/10.16・2029/6.14
京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8 <📲:075-861-4204>
【MAP】
〔駐車場所〕無料の京都市高雄観光駐車場が利用できる(11月のみ有料)。
![]()
774(宝亀5)年に光仁天皇の勅願で建立されたとの伝えもあるが、その実態は明らかでない。この地には奈良時代から「度賀尾寺」「都賀尾坊」などと称される寺院があったという。平安時代には近隣の神護寺の別院とされ、「神護寺十無尽院」と称されていた。これは、神護寺本寺から離れた隠棲修行の場所であったらしい。
当寺の中興の祖であり、実質的な開山とされるのは鎌倉時代の華厳宗の僧・明恵である。1206(建永元)年11月、明恵34歳の時に後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、また寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の勅額を下賜された。この時が高山寺の創立と見なされている。「日出先照高山」とは、華厳経の中の句で「朝日が昇って、真っ先に照らされるのは高い山の頂上だ」という意味であり、そのように光り輝く寺院であれとの意が込められている。
また、明恵は鎌倉時代初期に臨済宗の開祖・栄西から茶の種を貰い、当寺の境内に植えたという伝承がある。この地で栽培された茶は、栄西が南宋へ留学した際に種子を得て、帰国後に明恵の求めに応じて贈ったものと伝える。明恵はこれを初めは栂尾山の深瀬に植え、明恵が没した後も栂尾において栽培が続けられた。なお、この栂尾産の茶は鎌倉時代後期にはその味わいの良さが評判となり、金沢貞顕ら東国の武士たちまで争って求めるほどの高評価を得た。宇治の民の願いによって明恵が宇治に種を撒き、宇治その他の土地に広まったとも伝える。
1230(寛喜2)年に作成された高山寺境内の絵図(重要文化財:神護寺蔵)が現存しており、それによると当時の高山寺には、大門,金堂,三重塔,阿弥陀堂,羅漢堂,鐘楼,経蔵,鎮守社などがあったが、このうち、当時「経蔵」と呼ばれた建物が「石水院」として現存する。ほかの堂宇は中世以降、たびたびの戦乱や火災でことごとく失われている。石水院から開山堂に至る道の両側に残る石垣は、かつての諸堂や塔頭を偲ばせている。
1219(承久元)年に建立された本堂には、運慶とその弟子たちが作った丈六盧舍那仏像と四天王像が1223(貞応2)年に置かれたが、室町時代に焼失している。金堂は寛永年間(1624~44年)に仁和寺真光院から古堂を移築、開山堂は明恵が入寂した禅堂院の跡地に江戸時代に再建されたものである。明恵の肖像彫刻(重要文化財)が安置されている。
石水院(国宝)は鎌倉時代の建築で五所堂とも呼ばれる。入母屋造,杮葺き。後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものと伝え、明恵の住房跡とも伝える。外観は住宅風だが本来は経蔵として造られたものである。もとは東経蔵として金堂の東にあったが、1228(安貞2)年に洪水で流されたため、その後に東経蔵が新たな石水院として整備され、春日明神・住吉明神を祀ることとなった。1889(明治22)年に現在地に移築された。南面の欄間にある勅額「日出先照高山之寺」は後鳥羽上皇の筆と伝わる。
境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。また、「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画,典籍,文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。
|
【史跡規模】
|
【指 定】国指定史跡(1966年2月23日指定) |
| 関連時代 | 奈良時代 | 鎌倉時代 | 明治時代 |
|---|---|---|---|
| 関連年号 | 774年 | 1206年・1219年・1228年 | 1889年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
|---|---|---|---|---|---|
| 明恵上人 | H*** | 後鳥羽上皇 | K331 |
![]()
![]()