朽木陣屋跡(朽木城跡)

くつきじんやあと(くつきじょうあと)(Kutsuki Jinya [Kutsuki Catsle] Ruins)

【R-SG004】探訪日:2013/3.24・2019/8.8

【R-SG004】朽木陣屋跡  滋賀県高島市朽木野尻478-22

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-SG004】朽木陣屋跡

   築造年は定かではないが、江戸時代初期に朽木元綱によって築かれた陣屋である。もとは朽木城があった場所でもある。朽木氏は鎌倉時代に高島郡朽木荘の地頭職を得て以来、明治時代まで一貫して当地を治めた(転封されなかった)数少ない家である。
 朽木氏は宇多源氏の佐々木信綱を祖とし、近江守護の信綱は承久の乱の戦功により、朽木荘の地頭職を得て、信綱の曽孫・義綱のときに朽木氏を名乗るようになる。
 戦国時代には、足利将軍が京での戦乱を避け、朽木谷へ逃れてきたのを度々もてなしている。この頃は当地には朽木氏の城館・屋敷が建てられていた。また、1570(元亀元)年、織田信長の越前朝倉氏攻めのとき、浅井氏が寝返った際の信長の撤退戦(金ヶ崎の退き口)において、朽木元綱は、信長を応対し京へと案内した(「信長の隠れ岩」参照)。
 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは、元綱は当初、脇坂安治・小川祐忠・赤座直保らとともに西軍として布陣したが、小早川秀秋の寝返りとともに東軍へと寝返り、大谷吉継軍と戦った。しかし、この寝返りは事前に東軍側へ伝えておらず、事前に家康に意を伝えていた脇坂氏のように所領安堵とはならなかった。ただ、もとの二万石の所領のうち9千5百石は安堵され(減封)、一万石には満たないものの大名格の交代寄合としての処遇を得た(中村祐忠と赤座直保は改易)。
 陣屋は、当時は93,000㎡の敷地に、御殿,侍所,剣術道場,馬場,倉庫,多聞櫓など戦陣拠点としての諸施設が建っていたといわれている。明治以降、建物は順次取り壊され、現在は、堀,土居,石垣の一部と1ヶ所の井戸がわずかに残るのみである。
 なお、北側の山の上(標高362m,比高200m)にある西山城は、朽木城の詰城だったとされる。

【史跡規模】

【指 定】滋賀県指定史跡(1983年3月28日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 鎌倉時代 江戸時代:前期
関連年号 1221年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
佐々木信綱 G743 朽木義綱 G745 朽木元綱 G745
織田信長 OD04


【R-SG004】朽木陣屋跡  



【R-SG004】朽木陣屋跡


大正11年の朽木陣屋見取図(「広報たかしま 平成25年4月号」参照・加筆)

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