中原兼遠屋敷跡
なかはらかねとお やしきあと(Residence Ruins of Nakahara Kaneto)
【R-NN002】探訪日:1991/4.20・2026/10.18
長野県木曽郡木曽町新開
【MAP】
〔駐車場所〕
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木曽地方に本拠を置く豪族で木曾義仲の養父ともなった中原兼遠の屋敷があったとされる場所である。木曽川と正沢川・天神川に囲まれた南北約150m・東西約600mに及ぶ河岸段丘上のこの地に建てられていた。遺構は残されていない。
1155(久寿2)年、駒王丸は、大蔵合戦で源義賢が甥の源義平に討たれた際、その遺児・駒王丸を斎藤実盛の手から預かり、ひそかに匿って養育した。駒王丸もこの屋敷で兼遠の子・樋口兼光,今井兼平,鞆絵(巴御前)らとともに育ち、1166(仁安元)年、13歳で元服し木曾義仲と名乗る。説明板の傍らの古松は「義仲元服の松」と呼ばれる。また、南の水田の中の竹林に「木曽中三権守殿塚」いわゆる中原兼遠塚の碑が建つ。
また、近くには、兼遠が駒王丸の学問の神として勧進した手習天神や、元服の際に素戔嗚尊(須佐之男命)を祀った荒神社がある。