大平城跡

おいだいらじょうあと(Oidaira Castle Ruins)

【C-SZ006】探訪日:1991/1.4・2016/5.4

【C-SZ006】大平城跡 静岡県浜松市浜北区大平大平字城山 

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、三岳城を本拠とする井伊氏の支城の一つとして築かれた。井伊氏は、三岳城を中心に南を鴨江城、西を千頭峯城、東を大平城と支城を固めていた。
 1339(暦応2/延元4)年、南朝方の井伊道政は後醍醐天皇の皇子・宗良親王とともに三岳城に籠ったが、翌1340(暦応3/延元5)年には北朝方の高師泰,高師冬,高師兼,仁木義長らの大軍が支城の鴨江城,千頭峯城を落とし、三岳城へと迫った。三岳城が落城すると、道政と宗良親王は大平城へと逃れて立て籠もったが、同年8月には仁木義良らの夜襲に遭い、ここも落城した。これにより南朝方は、遠江国での拠点を失い、宗良親王は駿河の安倍城そして信濃国へ落ちていった。その後、大平城は歴史の上にも記録の上にも登場しない。
 大平城は灰ノ木川の北岸にあり、五体力神社の北の山に築かれた南北500m,東西400mの尾根式複郭型山城である。主郭は出曲輪,南曲輪を経た北側の山頂にあり、東へ伸びた尾根には東曲輪が続き先端に堀切がある。また、主郭の西から南西方向に伸びた尾根に西曲輪があり、同様に南西の先端に堀切を設けている。北側は主郭と尾根に堀切がある。山の南側は複雑に谷が入っており、北側と西側は断崖となっている。

【史跡規模】

【指 定】浜松市指定史跡(1972年8月30日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代
関連年号 1340年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
井伊道政 F441 宗良親王 K501 高 師泰 TS04
高 師冬 TS04 高 師兼 TS04 仁木義長 G372

 

【C-SZ006】大平城跡
 

 

【C-SZ006】大平城跡

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入口近くの説明板 登城口 五体力神社 城址碑 主郭 東曲輪 主郭北の帯曲輪 主郭北の帯曲輪 南曲輪