久々利城跡

くくりじょうあと (Kukuri Castle Ruins)

【C-GF009】探訪日:2019/9/30

【C-GF009】久々利城跡  岐阜県可児市久々利字薬師洞

【MAP】

〔駐車場所〕登城口近くの可児郷土歴史館に駐車できる。

【C-GF009】久々利城跡

   延元/正平年間(1336~70年)に、美濃国守護の土岐頼康の弟である土岐康貞(三河守悪五郎)が築城した。また、1565(永禄8)年、東美濃に侵攻した織田信長は金山城に森可成を置き、康貞の末裔久々利頼興はその配下となったが、1582(天正10)年に本能寺の変で信長が討たれると、頼興ら国人衆は可成に対して一斉蜂起する。しかし、森長可軍によって悉く鎮圧され、久々利頼興三河守は討たれ久々利城は落城した。その後は、森家家臣の戸田勘左衛門が城代として入ったが、1600(慶長5)年、森忠政が信濃松代に転封となるとともに廃城となった。
 久々利城は標高236mの山を背にし、南に張り出した急峻な山を堀切にて遮断し構築されている。山腹より数段曲輪を断続的に設け、土塁,空堀などで要所を備え、南北朝時代の築城当初の単調な造りと戦国時代後半に導入された横矢や桝形虎口,横堀が融合された構造となっている。
 また、城の麓には、もともと久々利城の根古屋とされるところに千村陣屋跡がある。

【史跡規模】

【指 定】岐阜県指定史跡
【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1336~70年 1565年・1582年 1600年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
土岐康貞 G134 森 可成 G396 久々利頼興 G134
森 長可 G396 戸田勘左衛門 F*** 森 忠政 G396

 

【C-GF009】久々利城跡
  

 

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▲案内板

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▲登城口

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▲登城口

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▲「枡形虎口」説明

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▲枡形虎口

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▲三の丸

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▲三の丸

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▲二の丸

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▲二の丸

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▲腰曲輪

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▲腰曲輪

【C-GF009】久々利城跡

▲本丸へ

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▲本丸

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▲本丸からの眺望

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▲本丸から見二の丸,三の丸

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▲本丸から北東へ

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▲土橋

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▲二重堀切へ

【C-GF009】久々利城跡

▲二重堀切

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▲二重堀切

【C-GF009】久々利城跡

▲二重堀切

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【C-GF009】久々利城跡

▲天空見張台

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▲天空見張台

【C-GF009】久々利城跡

▲天空見張台から見た本丸