園城寺(三井寺)

おんじょうじ(みいでら)(Onjo-ji Temple[Mii-ji Temple])

【T-SG010】探訪日:1990/11/10・2016/10/15

【T-SG010】園城寺(三井寺) 滋賀県大津市園城寺町246 <📲:077-522-2238>

【MAP】

〔駐車場所〕

   大友皇子の子である大友与多王が父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒菩薩像を本尊とし寺を建立した。壬申の乱では大友皇子と敵対した天武天皇ではあるが、686(朱鳥元)年に建立を正式に許可し、園城寺の寺号を与えた。一般には、三井寺として知られる。園城という寺号は、大友与多王が自分の荘園城邑(田畑屋敷)を投げ打って一寺を建立しようとした志に感じて名付けたものとされる。また、三井寺の通称は、この寺に涌く霊泉が天智,天武,持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井の寺と言われていたものが転じたものという。
 比叡山で修業を積み、唐へ留学した円珍(智証大師)は、859(貞観元)年、園城寺初代長吏に就任し寺を再興するとともに、その後の園城寺の発展の基礎を築いた。868(貞観10)年には、円珍は天台座主に就任し、没するまでの24年間、その地位にあった。
 しかし、円珍の没後、比叡山は円珍の門流と慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになる。993(正暦4)年には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山を下りて園城寺に移った。この山門(比叡山延暦寺)と寺門(園城寺)の対立抗争を小規模なものまで含めると50回にも上るという。
 園城寺は、平安時代には朝廷や貴族、鎌倉時代,室町時代には両幕府から厚遇されたが、これは強力な権門である延暦寺の勢力を牽制するために園城寺に対して一定の支援をすることが必要であると考えられていたからだとも言われている。
 戦国時代に入ると、織田信長と延暦寺の対立は頂点に達し、ついに1571(元亀2)年に園城寺に本陣を置いた信長によって比叡山焼き討ちが行われた。その一方で園城寺は信長と良好な関係を構築し維持し続けていた。
 次いで豊臣秀吉とも良好な関係を築いていたが、1595(文禄4)年11月、突如、秀吉の怒りに触れ、寺領の没収(事実上の廃寺)を命じられた。理由は諸説あって定かではない。この結果、本尊の弥勒菩薩像や智証大師坐像,黄不動尊などは元園城寺長吏の道澄が自ら住持を務める照高院に避難させ、僧も保護したが、ほとんどの仏像や宝物はよその寺院へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に破却,移築された。当時の園城寺金堂は比叡山に移され、現在も延暦寺西塔転法輪堂(釈迦堂)として現存している。
 園城寺長吏・道澄は、復興の請願を繰り返し行ったことで、秀吉は自らの死の直前1598(慶長3)年になり、園城寺の再興をようやく許可している。秀吉の再興許可を受けて道澄が中心となって寺の復興事業が開始され、照高院に避難させていた弥勒菩薩像,智証大師坐像,黄不動尊などを残されていた園城寺上光院に移している。伽藍の復興も進められ、翌1599(慶長4)年には高台院が金堂を寄進し再建を果たした。現在の園城寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである。そして慶長年間末期の頃には三院で49院、五別所で25坊もの子院が並んでいた。こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、園城寺は「不死鳥の寺」と称されている。
 明治維新後は、北院の大半は陸軍用地として軍部に接収されてしまい、最終的に新羅善神堂と法明院を残して廃絶してしまった。

【史跡規模】

【指 定】滋賀県指定有形文化財(1900年4月7日指定
【国 宝】金堂 附厨子/新羅善神堂 附須弥壇及び厨子
    勧学院客殿/光浄院客殿
    絹本著色不動明王像(黄不動)

    木造智証大師坐像(中尊大師)/木造新羅明神坐像
    木造智証大師坐像(御骨大師)/五部心観2巻

    智証大師関係文書典籍(資料46種)
【国重文】<建造物>
    
大門(仁王門)/閼伽井屋/一切経蔵/三重塔
    食堂(釈迦堂)/毘沙門堂/鐘楼

    唐院4棟(大師堂・唐門・灌頂堂・四脚門)
    <絵画>
    絹本著色新羅明神像/絹本著色天台大師像2幅
    絹本著色不動明王像/絹本著色不動明王二童子像
                   ほか、全18点

    <彫刻>
    
木造如意輪観音坐像/木造愛染明王坐像
    木造護法善神立像/木造樹不動尊立像
    木造吉祥天立像/木造不動明王立像  

                   ほか、全10点
    <工芸品>
    金銅孔雀文磬/銅鐘/梵鐘(弁慶引き摺り鐘)
    <書跡,歴史資料>
    大蔵経(文和三年正月廿三日足利尊氏願経) 592帖
    紙本著色園城寺境内古図 5幅
                   ほか、全5点

関連時代 飛鳥時代 平安時代:前期 平安時代:中期 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 686年 859年 993年 1571年 1595年・1598年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
大友与多王 K306 天武天皇 K307 円珍(智証大師) ****
円仁(慈覚大師) **** 織田信長 OD04 豊臣秀吉 ZZ01
道澄 ****

 

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▲境内案内図

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▲仁王門

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▲「釈迦堂」説明板

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▲釈迦堂(食堂)

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▲釈迦堂

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▲「金堂」説明板

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▲金堂

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▲金堂

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▲金堂

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▲堂前灯籠

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▲「三井の晩鐘」説明板

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▲三井の晩鐘

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▲三井の晩鐘

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▲「一切経蔵」説明板

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▲一切経蔵

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▲一切経蔵

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▲弁慶の引き摺り鐘

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▲閼伽井屋

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▲閼伽井屋

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▲「光浄院客殿,庭園」説明板

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▲光浄院客殿

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▲「唐院」説明板

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▲唐院四脚門

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▲灌頂堂

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▲灌頂堂と長日護摩堂(奥)

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▲「長日護摩堂」説明板

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▲智証大師御廟所

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▲灌頂堂と三重塔

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▲三重塔

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▲三重塔

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▲「三重塔」説明板

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▲「毘沙門堂」説明板

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▲毘沙門堂

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▲観音堂

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▲鐘楼・百体観音堂・観月舞台

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▲観月舞台

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▲琵琶湖を望む

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