島津忠久墓所

しまづただひさ ぼしょ(Grave of Tadahisa Shimazu)

【K-KN004】探訪日:2008/4/30

【K-KN004】島津忠久墓所 神奈川県鎌倉市西御門2丁目7-9

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KN004】島津忠久墓所

   源頼朝墓所の右奥の山腹に玉垣に囲まれた3っのやぐらの墓がある。向かって右のやぐらが島津忠久の墓である。1227(嘉禄3)年6月18日、脚気と赤痢により死去したとされる(『吾妻鏡』)。墓は、島津家第25代当主の島津重豪により、江戸時代後期に源頼朝の墓と共に建立された。
 忠久の出自については、惟宗氏説(忠康の子で広言の養子説が有力)、源頼朝の落胤説がある。後者は、源頼朝の側室であった丹後局が摂津大阪の住吉大社境内で忠久を生んだとするもの(島津忠久生誕伝承地)。ただ、母親に関しては比企尼長女の丹後内侍であるのが正しいとされている(比企能員の乱の際、忠久は縁坐して処分を受けている)。
 1197(建久8)年12月、大隅国,薩摩国の守護に任じられ、この後まもなく日向国守護職を補任される。忠久は最も広大な島津荘を本貫にしようと、その地名から島津氏を称した。なお、島津家当主で南九州に土着したことが確認できるのは5代目の島津貞久以降である。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 鎌倉時代
関連年号 1227年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
島津忠久 SM** 島津重豪 SM** 惟宗忠康 ****
惟宗広言 **** 源 頼朝 G202 丹後局 F***

 

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