浜松城跡

はままつじょうあと (Hamamatsu Castle Ruins)

【C-SZ001】探訪日:1989/6/5・2017/5/6

【C-AC001】浜松城跡 静岡県浜松市中区元城町100ー2

【MAP】

〔駐車場所〕

   浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城であり、築城時の城主は不明である。
 1570(元亀元)年、徳川家康は武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へと移した。岡崎城は嫡男の信康に譲られた。当初は天竜川を渡った見付築城するつもりであったが、籠城戦に持ち込まれた際に天竜川により背水の陣となることから、曳馬城を西南方向に拡張し、また、曳馬という名称が「馬を引く」と敗北につながり縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園浜松荘に因んで城名,地名ともども浜松と改めている。城域の拡張や改修を行い城下町の形成を進めるが、家康在城時における浜松城の具体像は不明確である。古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺える。また、家康が築造した浜松城は土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったとされる。
 1573(元亀3)年には武田信玄の西上計画が始まり、家康の人生最大の危機のひとつといわれる三方原の戦いが起きている。
 城の拡張,改修は1582(天正10)年頃にほぼ完了したが、4年後の1586(天正14)年には浜松から駿府に本拠を移した(その後の浜松城主は菅沼定政)。家康の在城期間は29歳から45歳までの17年間と人生で最も長く居住した城である。
 1590(天正18)年からは秀吉の家臣堀尾吉晴と、その次男堀尾忠氏が合わせて11年間在城し、この間に天守が創建されたようであるが、17世紀のうちに姿を消し天守台のみが現在に伝わる。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い前哨戦で功績があった堀尾氏は出雲国富田に移封。忠氏は松江城の天守築造にあたり浜松城天守を参考に設計したとされる。
 以後、一時徳川頼宣の領地だった時期を除いて9家22代の譜代大名各家が次々に入った。浜松城は出世城とも呼ばれるが、家康の天下取りの礎を築いた時期の居城であることと、老中となった水野忠邦はじめ数々の浜松城主が幕府要職に登用されたことによる。
 天守周辺は天守曲輪と呼ばれ、本丸から独立した曲輪となっている。東西56m,南北68mのいびつな多角形で東に大手として天守門、西に搦手として埋門が配されている。周囲を鉢巻石垣と土塀で囲み、土塀には屏風折などの横矢や武者走りが設けられるなど防御性の高い設計で、創建時には籠城戦を想定した場所だったと考えられている。現在の天守は資料館として再建された鉄筋コンクリート製の建物であるが、野面積みによる天守創建時の天守台が残されている。1辺約21mのややいびつな四角形で、西側に八幡台と呼ばれる突出部と、東側に付櫓と呼ばれる張り出し部分がある。
 本丸は天守曲輪の東側の一段低い場所に位置し、土塁と鉢巻石垣に囲まれていた。北側には富士見櫓、東側には本丸裏門、南東の隅には菱櫓、南側には鉄門と多聞櫓があった。江戸時代初期には徳川将軍家専用の御成御殿があったとみられるが、江戸中期には姿を消したと考えられている。本丸の西半分が浜松城公園となっている。このほか、天守曲輪の南側を細長く囲んだ清水曲輪,天守曲輪の西側に位置する西端城曲輪、そして本多作左衛門重次や鳥居元忠の名のつく作左曲輪,鳥居曲輪などがあった。また、二の丸は本丸の東側に位置し、藩主が政務や日常生活を営む二の丸御殿があったほか、東側に二の丸裏門,南側に本丸表門があった。跡地は旧元城小学校敷地と市役所敷地の北半分にあたる。三の丸は二の丸の南東側に位置し、周囲を土塁と堀で囲まれ、重臣の屋敷が立ち並んでいた。三の丸の南側に浜松城の正門である大手門(現在の連尺交差点付近)があった。

【史跡規模】

【指 定】浜松市指定史跡(1959年6月18日指定)
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1570年・1573年・1582年・1586年 1590年・1600年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 武田信玄 G425 菅沼定政 G141
堀尾吉晴 **** 堀尾忠氏 **** 徳川頼宣 TG21
水野忠邦 G610 本多重次 F510 鳥居元忠 F512

 

【C-AC001】浜松城跡
 浜松城は私の史跡探訪の原点である。出身小学校は二之丸跡,中学校は作左曲輪跡にあった。いつも城を見て通学し校庭からも天守が見えた。また、ときには遊び場でもあった。復原天守はあまり大きくはないが(実際、現物よりも小型に復元されている)、天守台の野面積みの石垣は創建当時のままで力強さを感じさせる。

 

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▲若き日の徳川家康像

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▲二之丸跡(一部)

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▲富士見櫓跡

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▲天守門

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▲天守門

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▲天守門

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▲天守台と復原天守

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▲野面積みの石垣

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▲井戸

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▲1989年撮影

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▲1989年撮影

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▲1989年撮影

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▲天守からの眺望(南方面)

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▲天守からの眺望(北方面)

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▲天守からの眺望(北西方面)

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▲公園内

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▲公園内の庭園

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▲公園内

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▲公園内に住むタイワンリス