達谷西光寺
たっこくせいこうじ(Takkokuseiko-ji Temple)
【T-IW005】探訪日:2013/10.4
岩手県西磐井郡平泉町平泉字北澤16 <📲:0191-46-4931>
【MAP】
〔駐車場所〕境内入り口前に無料専用駐車場がある。
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天台宗達谷西光寺は平泉の南西約6kmの丘陵尾根の先端部に位置する。境内の西側には、東西の長さ約150m,最大標高差およそ35mにおよぶ岸壁があり、その下方の岩屋に懸造の達谷窟毘沙門堂が建てられている。神仏混淆の社寺となっており、毘沙門堂境内は殺生禁断地の神域とされ、西光寺境内とは厳格に区別され、毘沙門に仕えるのが別当達谷西光寺の勤めとされている。弔事には鳥居をくぐることは許されず、檀家を持たず葬式を営まない珍しい寺である。
達谷窟毘沙門堂は801(延暦20)年、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた蝦夷の悪路王を討伐した記念として建てたもので、源頼朝も奥州征討後の鎌倉への帰路に参拝している。1490(延徳2)年、火災により焼失したが直後に再建。天正年間(1573~92年)には兵火により再び焼失したが、1615(慶長20)年に伊達政宗によって再建された。さらに現在の毘沙門堂は1946(昭和21)年に再建されたものである。
西側の岸壁上部には阿弥陀如来といわれる大きな磨崖仏が刻まれている。前九年後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために源義家が馬上より弓矢を以って彫り付けたという伝説がある。