保久城跡

ほっきゅうじょうあと (Hokkyu Castle Ruins)

【C-AC302】 探訪日:2020/5/14

 愛知県岡崎市保久町市場

  【MAP】

〔駐車場所〕

   足利氏の臣として下野国から三河国に移った山下義道の子の義村が、寛喜年間(1229~31年)に築城したとされる。室町幕府が誕生すると、足利将軍家奉公衆の三河四人衆の一家となり、嫡子は京都に上り将軍の身辺警護にあたったといわれる。しかし、室町時代後期の1461(寛正2)年、第9代山下庄左衛門庄重久のとき、松平宗家第3代松平信光に攻められ、大給城主長坂新左衛門,岩倉城主源兵衛と組んで応戦したが、岩倉氏は離散し山下重久,長坂氏は討ち取られて保久城は落城した(円川合戦)。その後、重久の子重勝,重仲は簗瀬姓に改名し、忍んで保久に留まった。
 現在は、堀切,曲輪,空堀が残る。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 室町時代
関連年号 1229~31年 1461年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山下義道 H*** 山下義村 H*** 山下重久 H***
松平信光 MT01 長坂新左衛門 **** 岩倉氏 ****
簗瀬重勝 H*** 簗瀬重仲 H***

 

 

 

【C-AC302】保久城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC302】保久城跡

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▲堀切

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▲虎口

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭からの眺望

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▲主郭からの眺望

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▲腰曲輪

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▲腰曲輪

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▲主郭の石垣

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▲腰曲輪

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▲腰曲輪

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▲堀切の西側

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▲西側を上る

【C-AC302】保久城跡

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▲西側からの眺望

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▲東からの遠望

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