小山村城跡

おやまむらじょうあと(Oyamamura Castle Ruins)

【C-AC689】探訪日:2025/8.28

【C-AC689】小山村城跡 愛知県刈谷市小山町6丁目

【MAP】

〔駐車場所〕天子神社の駐車場がある。

【C-AC689】小山村城跡

   築城年は定かではないが、刈谷の水野氏との関係が深く知立神社神主であった永見貞英の一族の永見新右衛門の居城とされる。永見氏は13代当主の永見貞春が平安時代後期の保元の乱,平治の乱に参戦するなど古くから続く家柄で、戦国時代の貞英は29代当主にあたる。新右衛門との関係は定かではないが、地理的にも水野氏に仕えていたことは確かであろう。
 城域は定かではないが、恩田川東の河岸段丘上にあったとみられ、天子神社辺りとその南側方面と思われるが、遺構は残されていない。なお、恩田川沿いには多くの貝塚が発見されている。
 天子神社の社殿造営にあたっては永見縫殿右衛門輔重の名がみえる。また、神社の南西にある敬専寺の山号は氷見山である。
 松平(徳川)家との関係では、1548(天文17)年に永見貞英と水野忠政の娘(於大の方の妹)との間に於古茶が生まれ、1573(天正元)年に家康は正室・築山御前の侍女であった於古茶を側室とした。1574(天正2)年に於古茶は双子を産むが、築山御前を配慮して本多重次に従い、浜名湖畔の代官・中村屋敷にて出産した。一人はのちの結城秀康である。もう一人は於古茶の兄・永見貞親の養子となり、永見貞愛と名乗ったとされる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
永見新右衛門 **** 永見貞英 **** 永見輔重 ****


【C-AC689】小山村城跡



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天子神社 恩田川越しに見る 天子神社後方 敬専寺 山門 境内 城域とされる天子神社の南側