東向寺

とうこうじ(Toko-ji Temple)

【T-AC127】探訪日:2025/10.2

【T-AC127】東向寺 愛知県西尾市駒場町榎木島115 <📲:0563-52-1401>

【MAP】

〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。

【T-AC127】東向寺

   創建年は定かではないが、寺伝によれば、貞観年間(859~877年)、円仁(慈覚大師)により創建されたという。当初は天台宗であった。その後、一時荒廃し、室町時代後期の明応年間(1492~1501年)、中島崇福寺開山・天祐上人の弟子であった光祐慧徳上人が入り、浄土宗に改めた。現在は、浄土宗西山深草派に属している。
 第四世の徳順上人は、今川義元の叔父と伝えられ、義元は禁制を出すなど深く帰依したとされる。1560年6月12日(永禄3年5月19日)、義元は桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討ち取られた義元の首は須ヶ口に晒された。鳴海城主であった今川家武将の岡部元信は、鳴海城と引き換えに主君・義元の首を返却された。元信はその首を携えて刈谷,吉良を経由して駿河国を目指したが、初夏の暑さから首の損傷が激しく、途中縁故ある当寺に立ち寄って、塚を築き、首を埋葬したという。この時、2名の武将が当地に留まって墓守となったが、そのうちの1名は名を今村某といい、今村家は当寺の大檀那として昭和まで続いていた。
 また、当寺の東の山中に三十三観音霊場が造られている。これは、大正期に西国三十三所の観音霊場を模して造られたもので、山道に沿って三十三の観音菩薩の石像が順番通りに配置されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:前期 戦国時代
関連年号 859~877年 1492~1501年・1560年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
円仁(慈覚大師) **** 光祐慧徳 **** 徳順上人 G360
今川義元 G361 岡部元信 F010


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