津島神社
つしまじんじゃ(Tsushima Shrine)
【S-AC069】探訪日:2025/3.20
愛知県津島市神明町1 <📲:0567-26-3216>
【MAP】
〔駐車場所〕
創建年は定かではないが、伝承では540(欽明天皇元)年とされる。建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀る。年代が明確な史料では、1175(承安5)年正月から7月までに書写された『大般若経』巻末に津島社の記載がある。また、鎌倉時代から室町時代にかけての鉄灯籠や梵鐘の銘には社名が刻まれている。近世以前は、京都・八坂神社とともに牛頭天王を祭神として祀る神社として知られた。
16世紀には織田氏や豊臣氏の庇護を受けて社殿造営等の寄進を受けた。織田信長は御札を配って祈祷を行う津島御師の活動を保護し、尾張藩もこの保護政策を継承して他領での布教活動に許可を与えた。これにより、東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社となる。
また、津島衆と呼ばれる四家七党の同族の社家組織によって運営され、織田信長,豊臣秀吉,徳川家康などの援助を受け、その後、尾張藩の庇護を受けて氷室家を神主とする社家組織が確立された。尾張藩から神領所有の特権を得るとともに、津島神社の川祭りで寄進米などを受ける特権が与えられていた。
明治の神仏分離の際、建物・祭事などにおけるあらゆる仏教的な要素は廃され、祭神を建速須佐之男命とし、社名から牛頭天王の名を外して津島神社としたが、いまも「津島の天王さま」と呼ばれ、親しまれている。
1970(昭和45)年11月23日、神社近くの民家から出火、折からの強風で神社本殿の檜皮葺屋根に飛び火し、懸命な消火活動が行われたが、屋根部分を全焼する被害を受けている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】・津島神社本殿:1605(慶長10)に松平忠吉の妻政子により寄進 ・津島神社楼門:1591(天正19)年に豊臣秀吉により寄進 ・太刀 (銘真守):伯耆国の刀工大原真守の作 ・剣 (銘長光):備前国の刀工長船長光の作 |
関連時代 | 古墳時代:後期 | 平安時代:後期 | 戦国時代 | 江戸時代 |
---|---|---|---|---|
関連年号 | 540年 | 1175年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
織田信長 | OD04 |
津島神社境内案内図(津島神社 公式サイトより転載加筆)