畑城跡
はたじょうあと(Hata Castle Ruins)
【C-NR068】探訪日:2025/6.7・6.29
奈良県山辺郡山添村春日
【MAP】
〔駐車場所〕Ⅰ郭北の春日神社の駐車場、あるいは山辺高等学校山添分校西の駐車スペースに駐車できる。
築城年は定かではないが、天文年間(1532~55年)に奥田三河守忠高によって築かれたとされる。奥田氏は斯波氏の一族で、尾張国奥田城を拠点としたため奥田氏を称したが、忠高は松永久秀に仕え、久秀没後は織田信長,豊臣秀吉に属した。1582(天正10)年と翌年には、侍牢人衆,伊賀惣物人数と呼ばれる反筒井方勢力が畑城に籠もったが、筒井氏によって鎮圧されている。忠高は、江戸時代には徳川家康に旗本として取り立てられ、ここ波多野地域一帯を領して、大西に陣屋を構えて代官に統治させた。
城は春日の集落の南側にそびえている比高60mほどの東西に長い急峻な山稜に築かれている。大きく3つの郭から成り、当初は西の郭(Ⅱ,Ⅲ郭)を築き、奥田氏が松永久秀に仕え勢力を拡大すると、東(Ⅰ郭)へと城郭を拡張したと考えられている。
最も西のⅢ郭は最高所の主郭と西山腹の腰曲輪で構成され、東側は堀切で遮断している。Ⅱ郭は広い単郭で南を除く三方を堀切で遮断しており、南には畝状竪堀群がある。東にあるⅠ郭が最も大きく、主郭を中心に東西南北の尾根に曲輪を展開し、ところどころに石積(石垣)を見ることができる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1532~55年・1582年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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奥田忠高 | G338 |
1回目の探訪は春日神社に車を停め、北側からほぼ直登してⅠb郭で到達して、Ⅰ郭のみを探索した。2回目は山添村総合スポーツセンターへ入る道の手前(山辺高等学校山添分校の西)の道路脇に駐車し、Ⅲ郭へ北から直登して、Ⅲ郭→Ⅱ郭→Ⅰ郭へと進んだ。特にⅡ郭東の堀切は見応えがある。ギャラリーの写真は、Ⅲ郭→Ⅱ郭→Ⅰ郭の順に編集している。
畑城縄張り図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)