穴ヶ谷城跡
あながやじょうあと(Anagaya Castle Ruins)
【C-SZ165】探訪日:2025/4.12
静岡県牧之原市中
【MAP】
〔駐車場所〕小仁田薬師堂の前の駐車場が利用できる。
室町時代に今川氏に従属していた勝間田氏によって築かれたとされる。勝間田十郎政次の名がある。政次は西麓にある長興寺の開基でもある。勝間田氏は本拠の勝間田城のほか、当城,龍眼山城,湯日城と領内に4ヶ所の城郭を配していたという。1476(文明8)年に駿河から遠江に進出した今川義忠と見付で戦って滅亡した際に廃城となったという。
城は、小仁田薬師堂の西側に東西に連なる標高114m,比高106mの丘陵上に築かれており、東のⅡ郭と西の主郭から成る東西200m以上、主郭は南北約120mを測る。虎口はⅡ郭南東にあり高さ2mの土塁で防御している。また、手前(東)には2条の堀切に挟まれた馬出状曲輪が設けられている。尾根を西に進むと、南北に長い主郭に出る。その南北には堀切、西側には畝堀状の堀切で尾根を遮断している。また、西下には三日月形で横堀状の腰曲輪がある。
室町時代に廃城となったとされるが、馬出状曲輪や堀切,竪堀などの構え方から見てみて、現遺構は戦国時代の武田・徳川両氏の東遠攻防期に改修が加えられたと考えられている。さらには、城域はかつて茶畑として活用されており、その際の改修の可能性もある。現在は茶畑は放棄地となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1476年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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勝間田政次 | F038 |
穴ヶ谷城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)