近藤景春墓所
こんどうかげはる ぼしょ(Grave of Kondo Kageharu)
【K-AC255】探訪日:2025/9.16
愛知県愛知郡東郷町春木清水ケ根
【MAP】
〔駐車場所〕
1560(永禄3)年5月21日、織田信長軍に攻められ、自害した沓掛城主・近藤九十郎景春の墓所である。2日前の5月19日、尾張国に西進してきた今川義元を総大将とする今川軍は桶狭間(田楽狭間)にて織田信長の奇襲に遭い、義元が討たれてしまう。21日、信長は義元が拠点とした沓掛城を織田軍2000で攻め寄せた。城兵400では衆寡敵せず、城主の近藤景春は一旦は北東にある祐福寺へと退いたが、天神山にて自害して果てた。近藤景春は桶狭間の戦いの際(19日)には、沓掛城支城の高圃城に入っていたが、今川軍の敗北を知った沓掛城代の浅井政敏が城を捨て駿河国へと敗走したため、景春が沓掛城へ入城していた。
【史跡規模】
【指 定】
【国 宝】
【国重文】
墓所のある天神山は城砦名はないが、堀が多用された城跡あるいは砦跡のようである。
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