水巻城跡

みずまきじょうあと (Mizumaki Castle Ruins)

【C-SZ054】探訪日:2020/10/29

【C-SZ054】水巻城跡 静岡県浜松市天竜区佐久間町中部字平沢

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SZ054】水巻城跡

   築城年代は定かではないが、奥山定之が本城である高根城の支城として築き、二男・美濃守定茂を入れた。奥山氏は南北朝時代より北遠地方を統治し、今川氏衰退後は武田氏に与し勢力を拡大してきた。奥山定茂は1569(永禄12)年には兄・奥山貞益の高根城を焼き、弟・定吉の大洞若子城、定友の小川城を攻めている。1575(天正3)年の設楽ヶ原の戦いには武田軍として参陣したが、武田軍が織田徳川連合軍の前に大敗すると、そののち水巻城も落城し、定茂は高根城を経て信濃へと落ち延びたという。
 城址は平沢台地の宥泉寺とされるが遺構等は発見されておらず、戦国期の城であると考えると、西に天竜川を天然の要塞とする現・松山公園のある河岸段丘上の可能性が高い。宥泉寺は居館跡と思われる。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1569年・1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
奥山定之 F450 奥山定茂 F450 奥山定吉 F450
奥山定友 F450

 

【C-SZ054】水巻城跡
 訪れたときはすでに夕暮れに近かったが、水巻城は山城であろうと判断して思い切って河岸段丘の頂上を目指した。設楽城跡,別所城跡,亀ヶ城跡,鶴ヶ城跡,裏鹿城跡,大洞若子城跡,高根城跡と7個所の山城を登った後の足腰にはかなりきつかったが、途中には鹿(撮影のタイミングを逃してしまったが)に出会ったりしながら、何とか山頂へたどり着いた。山頂には小さな社が建てられ、ある程度の広さの削平地は確認できたが、そこが主郭という確証はもてなかった。のちの調査に期待し、これ以上は下りが暗くなり危険と判断して下山することとした。ちなみにGoogle Mapに示された「水巻城址案内板」は見つけることができなかった(撤去されていたものと思う)。 

 

【C-SZ054】水巻城跡

【C-SZ054】水巻城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-SZ054】水巻城跡

▲松山公園の看板のところから入る

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▲途中にある石仏群

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▲山頂

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▲山頂の社

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▲削平地

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