鍬塚城跡

くわづかじょうあと (Kuwazuka Castle Ruins)

【C-AC489】探訪日:2022/1/28

【C-AC489】鍬塚城跡 愛知県北設楽郡設楽町東納庫字城山

【MAP】

〔駐車場所〕ささぐれもみじ街道から10mほど入ったところに駐車スペースがある。

【C-AC489】鍬塚城跡

   築城年は定かではないが、1532(天文元)年頃、作手から名倉へ進出した名倉奥平家の2代・奥平喜八郎信光のほか、戸田兵右衛門,松島兵次郎の居城とされる。信光は関ヶ原の戦いの後、家康の4男・松平忠吉に属し、忠吉が清洲城に入ると、1602(慶長7)年、信光も戸田加賀守と称して家臣として清須に移住した。
 城はタコウズ川に突き出した標高790m,比高330mの尾根先端(城山)に築かれている。郭は南北の「く」の字に並び、西側に厚くなっている。山頂の主郭は北から西にかけて土塁が巡り、南側と東側に虎口を設けている(東側は搦手口)。主郭西から北へ二郭が廻り込み、北側へ張り出す。南側には三郭と四郭が段状に連なっている。

 

 

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1602年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
奥平信光 KD13 戸田兵右衛門 **** 松島兵次郎 ****

 

【C-AC489】鍬塚城跡
 当日は入口辺りに雪が残っていたが、幸い登り口からは雪も消え、登城道も城跡の800m,500m手前にそれぞれ案内が立っており非常にわかりやすかった。城跡にも説明板や遺構表示があると、ありがたい。

 

【C-AC489】鍬塚城跡

 

  

【C-AC489】鍬塚城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲ささぐれもみじ街道沿いに入口がある

【C-AC489】鍬塚城跡

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▲左の道を進む

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▲しばらく行くと右側に登り口の標柱が立つ

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▲城跡まで1Km

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▲城跡まで800m

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▲城跡まで500m

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▲城址入口手前

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▲城址入口

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▲南側虎口

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭の西側,北側の土塁

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▲北側土塁

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▲主郭

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▲搦手口

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭から二郭を見下ろす

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▲二郭(右上が主郭)

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▲二郭

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▲二郭の張り出し

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▲二郭の張り出し

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▲三郭

【C-AC489】鍬塚城跡

▲三郭

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▲三郭

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▲三郭から見た主郭の切岸

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▲四郭

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▲四郭