大須賀康高,忠政墓所〔撰要寺〕
おおすがやすたか,ただまさ ぼしょ〔せんようじ〕(Graves of Yasutaka, Tadamasa Osuga[in Senyo-ji Temple])
【K-SZ013】探訪日:2015/10/24
静岡県掛川市山崎1305
【MAP】
〔駐車場所〕
撰要寺にある、横須賀城を築いた大須賀康高(1589年6月23日没)とその養子で初代横須賀城主となった大須賀忠政(1607年9月11日没)の墓所である。
1578(天正6)年、徳川家康は武田勝頼によって落とされた高天神城奪回のために、馬伏塚城主だった大須賀康高に命じて横須賀城を築かせた。1581(天正9)年に高天神城は奪回と共に廃城となり、横須賀城が遠州南部の拠点として位置づけられ、城主は大須賀家2代(忠政ー忠次)が務めた。忠政は榊原康政の長男であるが、大須賀康高に嗣子がなかったことから、その養子となって大須賀氏を継いだが、1607(慶長12)年春に病に倒れ、上洛して養生するも27歳で亡くなった。