源義経妻子墓所
みなもとのよしつね さいし ぼしょ(Minamoto Yoshitsune's Wife and Daughter Graves)
【K-IW001】探訪日:2013/10.5
岩手県西磐井郡平泉町平泉花立4-62
【MAP】
〔駐車場所〕
1189(文治5)年閏4月30日、源義経とともに亡くなった義経妻子の墓がある。もとは金鶏山の麓の千手院境内にあったが、のちに約300mほど東南のこの地、千手堂境内に移された。 源頼朝の命を受けた藤原泰衡は、従兵500騎で義経が暮らす衣川館を襲撃(衣川の戦い)。義経は持仏堂に入り、22歳の郷御前と4歳の娘を殺害したのち自害した。郷御前は河越重頼の娘で1184(元暦元)年に源義経に嫁いだ。本名は不明であるが、郷御前のほかに、故郷である河越(川越市)では京へ嫁いだ姫であることから京姫と、平泉では貴人の妻の敬称である北の方と呼ばれている。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】【国重文】
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