寺部城跡

てらべじょうあと (Terabe Castle Ruins)

【C-AC528】探訪日:2022/10.19・11.2

【C-AC528】寺部城跡 愛知県名古屋市南区笠寺町天満

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、戦国時代初期の大永~享禄年間(1521~32年)に山口将監盛重によって築かれた。盛重は市場城主・山口安盛の弟、桜中村城主・山口教房とは従兄弟同士である。山口盛重は、寺部城の北約2kmにある鳥栖城主の成田氏に娘を嫁がせるなど、尾張南部一帯の支配を深め、織田方の南方を守る豪族としての立場を固めていった。
 盛重の跡を継いだ息子の重俊は、織田信秀の死後に周囲の諸城が今川方へ寝返るという状況の中、織田信長の命令で今川方へ寝返った戸部城主の戸部政直と戦い、戦死している。その子・重勝は織田信忠に仕え、本能寺で信忠が討ち死にすると、織田信雄に仕えて1584(天正12)年には星崎城を攻略して本城とし、寺部城は廃城となった。その後、重勝の養子となった重政は、下野国へ流罪となった信雄に同行している。
 城跡は七所神社と隣接する粕畠公園の辺りとされ、東西約40m,南北105mほどの規模であったとされるが、現在遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1521~32年・1584年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山口盛重 OU10 山口重俊 OU10 戸部政直 ****
山口重勝 OU10 山口重政 OU10

 

【C-AC528】寺部城跡
 

 

【C-AC528】寺部城跡

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七所神社の南側鳥居 神社境内 神社の北西 神社の北西 神社の北西 神社西側には名鉄名古屋本線が通る 粕畠公園 粕畠公園から見た神社側 粕畠公園