龍王山城跡

りゅうおうざんじょうあと(Ryuozan Castle Ruins)

【C-NR032】探訪日:2022/10.2

【C-NR032】龍王山城跡 奈良県天理市田町

【MAP】

〔駐車場所〕天理ダムから来ると北城登り口近くの駐車可能な休憩所がある。なお、そのまま南城登り口までも車で行くことができる。

【C-NR032】龍王山城跡

   築城年は定かではないが、1483(文明15)年の史料にその名(釜口ノ山)がみえ、それ以前にすでに築城されていた可能性が指摘されている。この時、十市党の党首は十市遠清であった。1500年代前半は筒井氏との対立が続いた。1532(天文元)年、代が十市遠忠に移り、河内国からの木沢長政と筒井氏が同盟を結んだため、木沢長政と十市遠忠は対立することになる。木沢長政が1536(天文5)年に信貴山城に入城したため、十市遠忠は対抗し龍王山城を本格的な城郭に修築した。
 1540(天文9)年に筒井氏と和睦してからは、十市遠忠の勢力が急成長し、1542(天文11)年に太平寺の戦いで木沢長政が討ち取られると、十市遠忠の勢力はさらに拡大し筒井氏の勢力を凌ぐほどになった。しかし、1545(天文14)年に遠忠が急死すると、その子・十市遠勝は筒井順昭,筒井順慶の傘下に入った。
 1559(永禄2)年、松永久秀が大和国に入国し、翌年には大和国の大半を征服した。十市遠勝は当初は筒井氏と共に抵抗したが、やがて抵抗が困難となり松永久秀に降り、娘のおなへ(御料)を人質として多聞山城に入れた。1567(永禄10)年、松永久秀と三好三人衆が対立すると、筒井氏は三好三人衆と同盟を結ぶ。これが影響し龍王山城で謀反がおこり、城衆の一部が退城した。遠勝は翌年に三好三人衆方に寝返ったが、松永方へは人質がとられたまま目立った動きもできず、宇陀松山城より進出してきた秋山直国軍に山内周辺を制圧され、龍王山城を放棄して十市城に移った。しばらくは秋山直国が龍王山城の城主となり、十市城周辺を攻撃した。
 織田信長が上洛を果たすと、松永久秀はその軍門に降り、織田信長軍の来援を得て筒井軍を圧倒したため、十市遠勝は再び松永久秀方に降った。1569(永禄12)年10月十市遠勝が死亡すると、人質として差し出された十市御料を奉ずる松永派と、十市藤政を擁する筒井派に分裂するが、大半は松永派に属しており、龍王山城,十市城ともに松永久秀の手にあった。
 1575(天正3)年、松永久秀の甥・松永久通と十市御料は龍王山城で祝言をあげた。松永久秀の挽回を目指す政略結婚ではなかったかと指摘されている。1577(天正5)年10月、松永久秀と松永久通は再び織田信長に対して謀反を起こし、信貴山城の戦いとなり滅びてしまった。最後の龍王山城の城主・松永久通はクロツカ砦で自害した。無主となった龍王山城は、翌年1月に織田信長の命により破却された。
 城は龍王山の高所に北城と南城が築城され、南城の標高は585.9m、北城の最高所は60mほど低く、国中からの比高は約485mと大和国随一である。規模は南北に1.2kmに及び、北城が本城で南城が詰めの城と考えられている。どちらも戦国期末期の改修が認められるが、全般に北城の方が新しい。1540(天文9)年の前後の十市遠忠の居城時代と、永禄~天正初年の松永方の支城時代の2つのピークが想定される。
 南城は稜線上に一列に並ぶ6つの連郭式に、山腹部3つ程度の張り出し曲輪が付属する。南城は「釜口ノ山」と記されている点から、最初に築かれた部分であると言える。さらに主郭から一段下に下った平場では、礎石建物と石段が確認された。出土した丸瓦は東大寺大仏殿の戦いで炎上したときに打ち壊しになった瓦を城郭瓦として転用されたと思われ、松永久秀が創建した建物である可能性が高いとされている。また、自然石を組み合わせた石組遺構は枯山水風の庭園遺構であると推定される。山城での庭園遺構の検出例は初めてとの見解が示されている。
 北城は南城西北端より300m以上離れ、別山になる。南城からは見下ろされる地形であるが平坦地形に恵まれ大きい曲輪取りがされている。国中方面の防御性が高いことから、北城が本城、南城が詰め城と考えられる。太鼓丸と巽櫓曲輪の2つの曲輪の間の虎口は、二重の食い違い土塁が2ヶ所あり、その間は丸い堀になり主郭ヘの入口を固めている。それ以外にも、西の大手丸,五人衆の曲輪,馬ひやし場,時の丸と呼ばれている曲輪がある。この北城には「馬池」と呼ばれる揚水地があるが、これは馬の足を洗うだけの池ではなく、空堀土橋へ迂回されるための防御施設も兼ねている。現在は林道が作られたため、大半が埋まってしまった。

【史跡規模】

【指 定】 

【国 宝】  

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1483年 1532年・1540年・1545年・1559年・1567年・1569年・1578年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
十市遠清 TC03 十市遠忠 TC03 木原長政 ****
十市遠勝 TC03 筒井順慶 MW21 松永久秀 ****
秋山直国 **** 十市おなへ(御料) TC03 織田信長 OD04
十市藤政 TC03 松永久通 ****

 

【C-NR032】龍王山城跡
 北城と南城があるが、それぞれの規模が広大で別個の城といっても通用する。北城だけでも探訪するにはかなりの時間を要するだろう。今回は本丸跡中心であったが、改めてじっくり廻りたい城跡である。 

 

【C-NR032】龍王山城跡

 

龍王山城縄張図(『日本城郭大系』に加筆)

【C-NR032】龍王山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

北城近くの休憩所(駐車場) 休憩所からすぐのところに北城への登り口がある 北城跡へ向かう 南虎口 南虎口 石積みの跡 堀切 北城本丸跡 竪堀群 竪堀群から東へ出たところ(馬池の前) 馬池 藤井竜王社 南城登り口(ここまで車でも来れます) この上が南城本丸跡 南城本丸跡からの西の眺望